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2002年4月


清掃をしながら、自然観察の一挙両得

(4月27日)

 川清掃も暖かくなって、ずいぶん楽になってきました。昨年の会発足以来、一年余りを経過して、袋詰めにしたゴミだけで3.5屯になる計算とか。そのほか、袋に入らない建築資材、自転車、家電など、大型のゴミもずいぶん引き揚げましたから、総量では10屯くらいになるでしょうか。まさにチリも積もれば山、という感じです。
 今日は岩槻市との境にある、中之堀川を掃除したのですが、まだコンクリート護岸していない川の両側には、沢山の植物や木々が繁茂しています。私の大好きな花、ノイバラの木がたくさん生え、一斉に花をつけていました。野薊、春紫苑、姫紫苑……、野の花もすっかり初夏の風情です。
 自然に関心をもつ仲間と、第4土曜日の早朝に行なうこの川清掃は、私にとって野外観察も兼ねた貴重なひとときになっています。
 興味のある方、ぜひご一緒しませんか。 



それでも、途中で投げ出すわけにはいかない!

(4月25日)

 辻元清美さんの参考人招致が終わり、わたしにとっても長かったこの1カ月あまりに、やっと一段落ついた気がします。
 辻元さんの「秘書給与流用」問題が明るみになって以来、この1カ月というもの、様々な人たちと意見を交わし、考え続けてきました。5年以上辻元さんの応援団を続け、「辻元さんのような市民派の国会議員を送ることで、政治の流れを変えよう」と、多くの方々に声を掛けてきた一人として、この問題に対する考えをきちんとお伝えしなければ、と思い、3月議会の報告も出せずにおりました。
 この問題がニュースで流れた3月19日、私は「辻元清美を永田町人間にしないために」とサブタイトルの付けられたパーティーに出席していました。その席上で、自民党から民主党に至る幅広い同僚議員に国会での活躍を評価され、「女性初の首相は辻元さん」と持ちあげられた直後の疑惑浮上。何という運命のいたずらだったのでしょう。また、鴻上尚司さんとの対談の中で、「永田町人間にならないために、移動はできるだけ電車を使っている」と話していた辻元さんが、こともあろうに議員としてのスタートの時点で、最も永田町的仕組みを利用する、という過ちを犯してしまったのは、なんと残念なことでしょう。
 辻元さんに対しても、社民党に対しても、100%疑惑が解明されていない、などの批判が起こっていることを百も承知で、私は今の段階で、あえて次のような結論を出しました。
 参考人招致の席で辻元さんが述べていた政治姿勢、「できるだけ多くの政策スタッフでチームを組みながら、政策を練り上げていく」こと、そして何よりも「特定の組織に頼らずに、有権者一人ひとりに情報を発信し、共鳴してくれる人たちで応援団を作りながら選挙を戦う」ということに賛同して、私もまた、活動を続けてきたのだと再確認しました。そして、未だその手法が国政で通用しないいわば途上の段階なのに、今回の事件で、この流れを止めてはいけない、と強く思いました。
 地方議員の選挙では、「勝手連」スタイルで、政党や特別な組織に属さない市民派の議員が当選できる流れが強くなってきています。また地方の首長選挙でも、可能になってきました。
 しかしながら、今の政治体制の中で、市民派が全く組織に頼らずに国会議員を誕生させることは、とてもむずかしい状況です。辻元さんもスタートの時点からそのことを訴え続け、だからこそ、「市民との絆」を強くして政治の流れを変えよう、と土井たか子党首が提唱した社民党から立候補し、ご存知のように社民党の議員として活躍してきました。辻元さんが新人のときから国会であれだけ活躍できたのも、やはり社民党に属していたからだということも事実です。
 実は今まで何度か、「社民党の中で、本当に市民との絆を強めていくことができるのか」という問題に突き当たり、話し合ってきました。そのたびに辻元さんは、「10年は社民党でがんばる」と言い続け、私たちもその辻元さんと一緒に、地方から政治の流れを変えるためにがんばろうと思ってきました。
 今回も悩みながら、辻元さんが「社民党をやめません」と言った以上、今しばらくは、これまでと同じように、地方議員としての思いを国政につなげるために、思いを同じくする人たちと連携をとりながら、歩んで行こうと思っています。
 地方議員としては、政党に縛られずに自由に議員活動を続けることが可能ですが、いくら地方でがんばっても、国会で決められてしまう法律や規則が上位法になってしまう以上、国政には無関係、というわけにはいかないのです。国政とのパイプの大切さというのは、地元への利権誘導ではなく、そういうことなのだろうと思います。
 辻元さんが、本当の意味で今度の問題に決着をつけ、仕切り直しができる日まで、応援団としての役割を果たしていこうと決意しました。もちろん、常に、自分のスタンス、つまり自分が最も大切にしたい政治姿勢と距離がないことを確認しつつ……。
 政党離れと言われ、無党派層が圧倒的多数を占める現状の中で、しかしながら私たちが、日本国憲法のもっとも大切な柱である、国民主権、その根本になる選挙権と被選挙権を、自分の権利として行使しようと思ったとき、まず、投票したいと思う候補者が出てくれないことには1票を生かせない、という問題に突き当たります。
 本当に政党や組織に頼らずに国会議員を誕生させようと思ったら、そう思った人、一人ひとりが経済的な面でも政治活動を支える覚悟が必要だということです。私たちはそのために応援団に入り、カンパや、ボランティアで労力を提供してきましたが、まだまだその力は小さ過ぎるのが現実です。個人献金で政治活動を支えることができるようにするために、企業・団体献金の禁止を求めていきたいと思っています。
 政党助成金についても、再考が必要でしょう。政党に属さない政治家も、同じ国会議員として活動している以上、等しく助成金を受ける権利があるはずです。
 また、選挙運動についても検討する時期に来ていると思います。現行の法律では、政党に属する人は政党の政治活動として様々な抜け道があるのに対して、政党に属さない候補者(予定候補も含めて)の政治活動に対する規制は厳しいものです。組織や政党に属さなくても、できるだけ多くの人に自分の政治信条や政策を訴えることが可能な制度に改める必要があります。
 こんなことを、無党派層といわれながら、強く政治に関心をもち、政治の流れを変えたいと思っている人たちと一緒に考えていくことができたら、と思っています。
 その期が熟するまでまってもいいのではないか、という意見もあります。しかし、昨年の通常国会以来、基本的な人権にかかわる、あるいは国の根幹を揺るがすような法律が、十分な審議を尽くさないまま、成立していく状況が続いていいます。今は、よりベターな道の選択しかできなくても、できるところからはじめつつ、思いをつなげていく努力を続けようと思っています。
 ご意見、お寄せください

一人ひとりの思いをつなげるために、今何を!
(4月13日、14日)

 第3期の「女性と政治スクール」、第1回目の今回は、土井たか子党首と、落合恵子さんの対談でした。
 「平和と平等は手をたずさえてやってくる」というテーマの対談での落合恵子さんのお話し、言葉の一つひとつが心にしみました。簡単な要約では不十分と思いますので、後ほどご紹介したいと思います。一言だけ、印象的だったことを記すと、「有事法制」をめぐる今日の政治状況について、「今は、自分でできることはなにかを考え、できることからはじめること、そして、ゆるやかなネットワークを結ぶことが大切」と。
 13日の夜は、全国から集まった女性の地方議員・党員の交流会、そして14日は大沢真理先生を講師にしての「学習会」と意見交換会がもたれました。
 大沢先生のお話しを昨年伺ったときは、小泉内閣発足直後でしたが、鋭い切り口で「小泉改革」の問題点を指摘。内閣発足以来1年たった今回はさらに、社会保障制度改革を中心に、「小泉内閣は『主婦の構造改革か』」と題して、より鋭い分析を展開してくれました。男女平等の確立、そして丸ががえの保障から個人単位の保障への改革こそ、リスクを分散することによる「不安解消」につながる、という主張は説得力があります。透明性も適正なルールも確立していないまま市場の競争原理にゆだね、機会は平等なのだからと、結果に対して自己責任を強いる「小泉改革」。それに対抗するには、「個人モデルの確立」と、徹底した地方分権による小さな政府型セイフティネットの構築が求められる、というお話しに納得。
 至るところで、地方から政治や行政を改革することの必要性が実感させられるこのごろです。一人ひとりの思いをつなげるために、それが原点だと再確認しました。
 「交流会」、「意見交換会」では、昨年の参議院選挙以来、いろいろ聞こえてきた全国の女性党員の皆さんと、率直な意見交換ができれば、と思っていたのですが、古くからの党員の方と、私のように「市民の絆」以降の党員では、やはり思いが違うのだろうと……。

<[女性と政治と政治スクール第1期」で一緒に市議選に名乗りをあげた船橋市議の佐藤ももよさん、教頭の福島瑞穂さんと>

ハナミズキとカラスノエンドウ
(4月9日)

 昨日は、我が家の子ども達の卒業した中野中学校の、そして今日は同じく備後小学校の入学式に出席しました。
 今年はもう桜はすっかり若葉が繁り、その代わり、備後小学校の校庭では、長男たちが卒業記念に植えたハナミズキが花開いて、1年生を出迎えていました。長男が卒業してもう15年、ハナミズキも堂々とした姿に。
 学校に向かう途中で、小学生が「草笛」を吹き鳴らしていました。近くに、草笛を作れそうな木が見あたらなかったので、「何の葉っぱ?」と聞くと「カラスノエンドウ」という返事が! たしかに、カラスノエンドウの若いさやが可愛い笛になっていました。
 時代が変わっても、こうして野遊びをする子ども達の姿が見られるだけで、とてもうれしくなりました。

ネットワークは育つのでしょうか
(4月6日)

「虹とみどりの500人リスト」関東ブロックの集中討論会に参加しました。「地方から政治を変える」を合い言葉に進んできた「虹とみどり」は、現在、進むべき方向を模索して、意見が分かれつつある段階にきています。私としては、「本籍社民党、現住所(つまり市議会と市議としての活動)は無所属」というスタンスで3年間活動し、無所属としてのよりどころが「虹とみどり」であっただけに、真剣に考えなければならないところです。
 あえて困難なことを承知の上でいえば、地方議会であれ、国会であれ、選挙に関しては適度な距離をもちつつ、議員と市民が互いに意見交換し、政策研究をする、ゆるやかなネットワークであってほしいと思っています。選挙に関しては、こんなに市民派・、無所属の仲間がいるんだ、こういう選挙の仕方で議員になることができるのだ、というメッセージを送ることで市民派・無所属の議員が増えていくための一助になればいい、と思っています。
 辻元さんの問題で、私なりの見解を書こうと思いつつ、行きつ戻りつしてなかなか原稿がまとまらない今の段階で、一ついえることは、既成政党にNOを突きつけてやっていくために、何をしなければならないのか、その答えを出すべき時期にきている、ということです。出発点は同じ思いであったはずの辻元さんでさえ、出発の時点で政党に所属することで、永田町の論理に組み込まれていった、という過程から、私たちは既成政党と手を組むことの怖さを思い知らされました。
 ゆるやかなネットワークであることが大きな存在価値であった「虹とみどり」が、明確に「めざすもの」を打ち出した段階で、個人にしばりのかかる組織に変容していくことだけは、避けてほしいと願っています。

猫の額の庭に、思い出が根付いてくれますように
(4月4日)

 我が家に隣接していたプレハブが、また一棟取り壊されました。花好きのご主人が育てていた木々も、取り壊しに先立ち、掘り起こされてしまっていたので、「どうされるのですか?」と聞いたところ、「多分、ゴミとして処分されるのだろう」とのこと。春から初夏にかけて、目を楽しませてくれた木々が処分されるのがしのびなく、譲り受けて、我が家の猫の額ほどしかない庭に移植しました。
 大きな木はさすがにむずかしそうですが、藤は枯れ木のようになった枝から、若葉が萌え出てきました。うまく根付いてくれるといいのですが。



散り際の桜
(4月2日)

 今年は例年になく桜の開花が早かったのに、花冷えの日が続いたせいか、春の嵐を思わせる風雨にもめげず、いつまでも咲き続けて、楽しませてくれたように思います。
 満開のころ、市内を走り回っていたので、市内の大半の桜を楽しむことができました。
 ことに、ほとんど散りかけた今、なぜか今年は散り際の桜の美しさに、目をうばわれています。花が散ったあとの萼と花芯の深紅色、若葉の浅緑、そして散り残った花の淡いピンクのコントラストが青空をくっきり染めています。思わずシャッターをきりました。

 団地では、もうドウダンツツジやしゃがの花、そしてアイリスが咲いています。初夏の花が咲き出したのに、山吹はじっくり時期を待っていたかのように、焦らずに花を開かせています。
 ところで、井戸端会議で姥桜論議に。今まで年老いてもう花を開かないか、あるいは花に勢いがない桜のことかと思っていましたら、「花が咲くときに葉がない桜の総称(つまり歯がないから)」とのこと。転じて、年をとっても艶めかしい女性をさすとのこと。これでは今までのように自称「姥桜」を使うとうぬぼれということになってしまいます。一つ利口になりました。
 我が家の猫の額のような庭にも、雑草があっという間にはびこってきましたが、この雑草たちも、ルーペでのぞくと可憐な花をつけているので、なかな抜く気になれません。子どものころから親しんだ雑草たちだけに、花が終わったら抜こう、と近所の目を気にしつつ……、の日々です。 

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