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●2003年2月

職員手当の削減は、体系的な見直しが必要では?
(2月28日)

 3月議会は、議案の質疑が続いています。今日から15年度予算の質疑に入りました。私の質疑は3日(月)の午後の予定です。
 予算に関しては自分が所属する委員会(私の場合は厚生福祉委員会)所管の分野の質問は、委員会で質疑することになっています。そこで、1.地方交付税の財源が不足することに伴って、市が削減分の補填のために発行する臨時財源対策債の推移(15年で3年目)と地方交付税の今後の見通し、市債残高について
2.住民基本台帳ネットワークシステム第2次稼動に伴う予算編成について
 の2点について質疑する予定です。

 ところで、予算質疑以外では、「都市計画法改定に伴う市条例の改正」と、「市職員給与条例の改正」の二つの議案に質疑が集中しました。
 このち、市職員給与については、現在本俸の10%支給されている「調整手当」を5%に減額するための条例改正です。
 財政が厳しい折、市職員給与を見直す必要があるのは当然です。しかし、3年前から期末手当のカット、そして1月臨時議会では、14年度からの本俸のカットが決まり、今回の調整手当見直しと、次々に削減されています。
 「県職員の手当が5%だから、それにならって」というものの、他の市では、平成20年度から21年度にかけて、段階的に5%に削減するところがほとんど。春日部市は平成17年度までの3年間で、5%にする、という改定案です。
「なぜ、段階的というなら、他市のように10年かけて削減しないのか」
「県職員なみ、というなら、他の給与体系も県にならうのか」
「合併協議を進める宮代・杉戸・庄和の3町が17年度までに5%にするので、それに合わせての事ではないか(この3町は現在8%、毎年1%ずつ減額して、3年後に5%にするもの)」
 の3点について質問しましたが、最初に3年後5%ありきなのですから、納得のいく答弁が得られようはずはありません。
 「合併協議では、職員待遇も含めて協議することになっているのに、最初から5%に合わせてしまうのは、合併協議をないがしろにすることになるのでは」と質しましたが、「改めて協議する」との答弁。
 見直すのなら、きちんと体系的な見直しをすべき、と思います。

 財政難のおり、「見直し」、「見直し」の項目が続く15年度予算、見直しの内容をきちんとチェックする必要があります。今日は2人の議員から、「イヌ・ネコの去勢・不妊手術補助金」が半分に減ったことに対しての質疑がありました。

 一般質問の日程が決まりました。私は18日(火)の2番目です。
 今回は、
1.郊外型児童センター、児童育成プランの中の位置づけについて
2.障害福祉・支援費制度の15年の実施計画について
 この2点について質問します。他の議員の日程、質問項目は、4日ころ、市議会ホームページに掲載される予定です。

どうしたの? 市長!
(2月25日)

 昨日から3月議会がはじまりました。
 3月議会の議案のトップバッターは、市長が自ら三役の減給処分を決めたことに伴う条例案です。
 この処分は、もう新聞紙上等でご存知と思いますが、旧産業文化センター予定地の非課税・隣接する商業用地の特別土地保有税徴収猶予問題の責任をとって、というものです。
 議会に対しては、全員協議会で説明がありましたが、とても納得できないもので、議会としては19日付、議長名で、真相究明のための「調査会」設置を求める要望書を提出しています。また状況によっては、議員の監査請求を提出する準備も進めています。
 原因が明らかになっていないのに、なんで処分を決めることができるのか、というわけで、この12号議案に対して、17名の議員から質疑の通告が出されました。「今日は徹夜?」と覚悟して、議会に臨んだところ、質疑が3人まで進み、昼食のための休憩に入ったところで、各派代表者会議の招集。
 市長から「12号議案を撤回したい」との申し出があったとのこと。
 「なぜ、今になって?」
 「撤回するなら、発言通告の出た直後、質疑のはじまる前だろう」
 「議会軽視もはなはだしい!」
 怒りの声が渦巻いたのですが、結局、市長が提出した議案を自ら取り下げることに対して、議会は拒否できないのだそうです。

 しかし……、審議前であれば納得できますが、審議に入ってから、ということになると、すでに質疑を終えた議員に対して、質疑できなかった議員の質疑権(?)はどうなるの、という疑問が起こります。質問しましたが、「前例では議会は拒否できないことになっている」という答えのみ。
 というわけで、議会初日は徹夜にならず、なんとか夜9時前に終わりました。

 どなたか、このような例に関して、資料をお持ちでしたら教えてください。どうしても「議会制民主主義」に反するルールのような気がしてなりません。

 この問題が表面化してからの執行部の態度は、どうも優柔不断で、後手後手に回っていて、気になります。全員協議会でも、二度とこういうことが起こらないよう、きちんと原因を調査すること、市民の疑惑を払拭するために、情報は公開することを約したのに……。
 当面「調査会」の調査結果が18日までにまとめられるので、その結果を待つことになりました。

市民参加が広がれば……
(2月22日)

 朝から「春日部の川クリーン会」の川掃除。先月に引き続き、アピタ脇の中之堀川を掃除しましたが、すでに数日前に、会の発起人の一人、刀禰さんたち数人がタイヤ、車のシートなどの大型の廃棄物を引き揚げていてくださったので、専らゴミ集めを。
 毎回掃除するたびに思うのは、当たり前のことだけれど、一人ひとりが捨てなければ、こんなに汚れることはないのに……。
 ポリ袋など、分解しないものだけでなく、空き缶、電池、バッテリーと、確実に重金属で川を汚染するものを投棄してしまう人たち。
 ぜひともこの川清掃には、子どもたちに参加してほしい、そして自分一人が不法投棄しなければ、少しでも環境が汚染されないことを、実感として分かってほしい、と思わずにはいられません。

 メンバーの数人で、環境審議会の市民部会が主催する、内牧の下草刈りボランティアに合流。
 農家のTさんが所有する里山は、枯れ葉がぎっしり積もり、本当は下草狩りと適度な間引きで、里山のまま保存してほしいのだけれど、事情もあるのでしょう。樹木もある程度切り倒して、その代わり、市民の皆さんで有効な活用方法を考えてほしい、ということのようです。
 一画に、天然しめじが生えている場所を発見。このままにしておいたら秋には、と思ったけれど、木を伐ったので日当たりがよくなり、もう生えてくることはないでしょう。
 伐られた木の枝葉は、「川クリーン会」代表の佐藤さんが研究している機械でチップ化され、堆肥にする実験が行われています。この現場も見せていただきました。枝葉を堆肥にするときに時間がかかるのは、木の繊維質ですが、この機械で繊維を破断してしまうと、発酵が短時間で進み、約20日で堆肥ができるとのこと。結果が楽しみです。
 いろんな思いはあったけれど、林の中の作業は爽快でした。

 お昼は餅つきをして、つきたての餅を頂きました。久しぶりに手返しをしてみました。
 先週末、息子のインフルエンザをもらったようで、強烈な嘔吐と発熱が引いたあと、胃痛だけがしつこく残り、ほとんど食欲の無いまま1週間を過ごしたのですが、お昼のお餅をしっかり頂いたあと、胃が痛くならず、ほっとしました。
 来週月曜日からの3月議会は、何とか、片山フッカツ! となりそうです。

思いはイラクの子どもたちに
(2月20日)

 4月から統廃合される4つの小学校のうち、今日は私の住んでいる地区、谷中小学校の閉校式がありました。
 私が春日部市に転入してきて最初に住んだのは、武里団地の5街区でしたから、そのまま団地に住んでいれば、子どもたちは、この谷中小学校に入学していたことになります。
 しかし、長男が小学校に入学する直前に、夫の両親と同居することになって、備後東に転居。長男は正善小学校に入学。次女が生まれて手狭になって、大畑に転居して以降は4人の子どもたちはずっと、備後小学校で過ごしましたから、とうとう谷中小学校とは縁がありませんでした。
 ところが3年前、大場谷中に転居。ここは団地の9街区にくっついているような住宅地なので、なんとなく振り出しに戻ったような感じです。

 閉校式は、ほのぼのとして、とてもよい集会でした。
 学校行事に参加して、子どもたちの様子をみていると、自分が子育てに必死だったころのことや、子どもたちが小さかった頃のことと重なり合ってきます。そして何よりも子どもたちの一生懸命な姿をみていると、未来に希望が持てるような気がしてきます。

 ところが今日は、子どもたちの「夢・希望」という言葉のちりばめられた歌声を聞くにつけ、「世界中の子どもたちが手をつなげば」というフレーズを聞くにつけ、イラクの子どもたちについつい思いがいってしまいました。
 よしんば国の体制に問題があったにせよ、何も罪の無い子どもたちが銃弾にさらされ、命・家族・住む家を奪われています。それだけでなく、湾岸戦争の時にアメリカ軍がイラクに落とした、広島の原爆の1万4千倍もの放射能量に匹敵すると言われる劣化ウラン弾に汚染された国土で育った子ども達は、無脳症、白血病に苦しみ、命を奪われていっています。
 どんな大義名分があったとしても、これ以上イラクの子どもたちを苦しめる権利は誰にもないはず、と強く思っています。
 それなのに、世界の大半は、イラク攻撃に対する大義名分を認めていないのに、アメリカに付き従おうとしている日本政府。このままでは、日本はイラクの子どもたちの苦しみをますことに荷担することになってしまうと思うと、いてもたってもいられない思いです。
 3月1日(土)春日部駅西口のコーププラザで、「イラクの子どもたちは今」豊田直巳ミニ写真展&ビデオ上映会を開きます。是非、お出かください。

選挙を意識しないといけない時期なのに…
(2月19日)

 2月24日(月)から3月議会が始まるため、今日は日程、運営方法に関する議会運営委員会が開かれました。
 いつもは決まり次第、私のホームページでお知らせしていましたが、市議会のホームページができたので、そちらをご覧ください。

 その後、各派代表者会議が開かれ、市長宛に「固定資産税非課税・特別土地保有税徴収猶予問題」に関して、調査委員会を設置し、調査の結果を18日まで文書で回答するよう、要望書を提出することになりました。
 自治法98条2項による議員監査請求を提出するかどうかは、まだ検討の余地あり、ということで、再度各派に持ち帰り。

 この問題に関しては、議会としても市民の皆さんに説明が必要、ということで、「議会だより」の緊急号を発行することになり、引き続き、「議会だより編集委員会」が開かれました。
 問題が問題なだけに、各派の代表がオブザーバーで出席したこともあってか、2時間近くの大議論に。見出し一つにしても様々な意見が出て、なかなか面白い会議となりました。いつもこのくらい議論の出る編集委員会だと面白いのですが……。

 それにしても、いろんな議員さんから「選挙が間近なのに」というニュアンスの発言があり、ゥ〜ン。
 12月議会で、「乳幼児の医療費無料の年齢引き上げ」に反対してとき「選挙が近いのに、よく反対できるね」と隣の議員からささやかれたこと。ある勉強会で、「次回は立候補しないことを決めたので、この4年間は、思いっきり自分のやりたいようにやります」と言われてびっくりしたこと等々。
 私も次の選挙の事を考えると、胃が痛くなる思いですが、ふと気がつくと、目の前にある、やらなければならないことに追われて、準備がなかなか進まない状態です。

 午後からの「参加する会」の会議も、半分はイラク問題になってしまい、お叱りを受けてしまいました。

 週末から、息子のインフルエンザ

今度こそ、国民の声に耳を傾けて!
(2月16日)

 朝刊にうれしい見出しが踊りました。「世界400都市 1000万人が反戦デモ」。
 アメリカのイラクへの武力攻撃を主張する姿勢に対して、1月18日のニューヨーク等、アメリカの各都市で行われた反戦デモに呼応した形の世界統一行動に続いて、第2波の行動です。
 私も国立のワークショップのあと、渋谷の集会に参加するつもりだったのですが、体調が悪く、今日の集会に備えて断念。

 今日の高橋徹哉さん、小森陽一さんの基調発言も、この事態に呼応して、日本政府がアメリカのイラク攻撃に協力することが、いかに世界平和を守る上で、ひいては日本の平和を守る上で危険なことであるか、という点の確認からはじまりました。
 「有事法制」、「教育基本法の改定」そして徐々に視野に入ってきた「憲法改定」。今こそ、一人ひとりが、日本があくまで平和外交を基点にして、戦争をしない国というスタンスを守るのかどうか、決意しなければいけない時期にきていると思います。

 「武力攻撃事態法」、「テロ特別措置法」と、国民世論の反対の声を「反対の声は届いていない」とうそぶいて、国会の力関係で通してしまいましたが、今度こそ、国民の反対の声に、真摯に耳を傾けてほしいと、切実に思っています。
「平和」が人類共通の願いであることはまちがいありません。だからこそ、まず、平和を守るために最大限の努力をするのが筋道。武力行使は、そのはるかかなたの、万策尽きたときに限るのが、人間の英知であると信じます。

自治を守る、という国立市長の言葉に感激
(2月15日)

 住民基本台帳ネットワークシステムは、今年の8月に住基カードを発行して第2ラウンドに入るため、そのための予算が示される3月議会を前にして、ワークショップが国立市行われました。
 このネットワークシステムがカード発行によって本格的に稼働すると、国家による個人情報の管理が始まるのでは、と言う恐怖感を持つものとして、関連予算の示される3月議会できっちり対応するための情報を得たいと参加しました。
 一番新しく、ネットワークの切断を決めた国立市の上原市長は「単に個人情報保護法が制定されていないから、という理由で離脱すると、法が制定されたときに離脱の根拠がなくなってしまう。だから、本来自治事務であるはずの住民基本台帳の管理について、国が強制的にネットワークに参加させることについて、自治を守る首長の責任において異議申し立てをした」と発言。すごい、と思いました。そしてこれを首長のトップダウンにしないために、広報で5回も説明し、市民アンケート調査を実施、その結果7割の市民がネットワーク参加を拒否、という手順を踏んだこともすごいと思いました。
 常に、国が県がという市長とは大きな違い、と感じて帰ってきました。

議会として反省してはいけない?
(2月14日)

 今日の全員協議会は、新聞に何度か取り上げられた、旧産業文化センター予定地(現在の事業名は「ふれあい拠点施設」)の固定資産税の問題と、隣接する商業施設予定地の特別土地保有税の問題について、執行部からの説明を受けるためのものでした。

 新聞が、あたかも市が10数億の税金を徴収し損ねたかのような報道をしているため、市民の皆さんに誤解が生まれているようです。
 市の説明によると、産業文化センター予定地については、区画整理ができた後、センターが建設される際に、市が買い取る予定で、手付け金のみ払った状態だったため、仮登記も所有権の移転もしていなかったため、本来は課税した後、減免措置をとるべきだったのに、課税せずそのまま10年以上経過してしまったというものです。
 隣接地についても、産業文化センター構想と一体化して事業を進める予定だったので、転売等で土地が高騰することを防ぐための課税である特別土地保有税の対象とはならにけれど、徴税猶予するためには、そのための条例を定めなければならなかったのに、それを怠ったというもの。
 まったくの手続き上のミスだったと思うのですが、それをチェックする議会の見落としも、私は反省すべきだと思っています。しかし、先輩議員からは「議会としての反省の弁は出してはならない」と言われてしまいました。なぜ?
 事は私が議員になる遙か以前の問題ですが、その後も議会で問題になったこともあり、常に法や条例に照らして、瑕疵がないかチェックするのは議会の仕事、と認めなくてはなません。

 その反省の元に、二度とこのようなことが起こらないよう、事実関係をさらにきちんと明らかにするための調査委員会を設けることと、議会で監査請求をすることになりました。

無所属・市民派として仕切り直し!
(2月13日)

 「風のたより23号」の配布も終わり、ここ数日は、4年間の任期の総決算として、議事録を中心に議員活動をまとめています。
 議員になった翌年、介護保険制度が実施されたこともあり、福祉関連が多いのですが、それでも教育問題、男女共同参画関連、財政、住民基本台帳ネットワークシステムetc.新人ながら、がんばってきたな、と自分をほめながら……。
 この原動力は、なんといっても、つき2回のペースで意見を交わし合ってきた「一緒に市政に参加する会」の皆さんのアドバイスやときに批判があってこそと感謝・感謝です。
 そのほか、会員になっているいろんな団体・グループの皆さんからも、力を貸して頂いた結果と、感謝しています。
 また、近隣の議員で作り上げてきたネットワークの存在も大きいと思っています。近隣の市町の施策はとても参考になり、財政的な面も含めて資料も手に入り、春日部市の施策の検討に本当に役に立ちました。
 ネットワークの仲間の共通の課題が、「市民が主役の街づくり」「真の地方自治の確立」ということであり、同じ思いで活動している仲間がいることが励みになって、今は少数派であってもいつか本流になるはず、とがんばってこれたと思っています。
 併行して、「虹とみどりの500人リスト」の仲間と、情報交換や国会の院内集会・学習会を重ねることができたことも、大きな財産となっています。
 もちろん、社民党の党員として、国の施策、地方財政などの資料、アドバイスも、日森衆議院議員と政策審議会事務局からいただいたことも感謝しています。
 こうして4年間の活動を振り返り、私は無所属・市民派として議員活動をしてきたことを考えたとき、党と政策・方針が食い違っている以上(2月5日を参照してください)、党員であってはならないと決断し、離党届を出しました。
 国会議員を辞職した辻元清美さんの「石の上にも3年」という言葉をかみしめ、福島瑞穂さんと、「女性がエンパワーメントして地方から政治を変えよう」を合い言葉にがんばりたいと思って来たのですが……。

 今度の選挙は「無所属・市民派」として仕切り直します。

なぜ、中途半端な施設を?
(2月10日)

 全員協議会で、「児童センター」の基本設計が示され、検討されました。
 実は、先日の厚生福祉委員会で前もって委員には図面が示され、質疑を経ています。その席でも、質疑というよりはむしろ、不満続出。
1 郊外型とうたっているのに、木登りも水遊びもできない!
2 子育て支援センターの役割を果たすというのに、親のサークルなどが利用する研修室・会議室が一室しかない
 等、以前示された基本計画では、エンゼル・プランのワークショップなどで出た市民要望が取り入れられた、期待のできるプランが示されていたのに、完成予想図を見ても、設計図を見ても、松伏のセンターをまねっこしたような、単に新しいだけの施設がまた一つ増えるだけ、という感じです。
 つまりいろんな要素を満たそうと努力した余り、どれもこれも中途半端。午前中に終わるかに思われた全員協議会は、延々と議論が続き、午後まで持ち越されました。

 もちろん、近隣の人にとっては、雨の日でも子どもたちが遊べる館ができるのは、歓迎すべきことでしょう。しかし、8億も投じて建設するにはちょっと問題あり。
 「市民に設計図を公開して、意見を集めるべき」と主張したところ、「広報に掲載して意見を求める」との答弁がありました。是非、どんどん意見を出してください。
 私は元々児童センターの建設には反対していました。新しい館を建てるお金があったら、学校の開き教室や、ほとんど使われていない地区集会所などを利用するための整備をして、せめて小学校区に一つ、地域型児童館を、と主張してきました。
 しかし、市長選挙に先立って、ついに35年間建てられなかった児童センターの建設が決まりました。このセンターが子育て支援の中心になると聞いて、それなら未来に向けた、新しい発想のセンターを、と思っていたのですが……。

 3月議会では、きっちり詰めたいと思います。ご意見聞かせてください。

市民を信じる政治にこそ未来があると
(2月8日)

 中村敦夫さんが代表委員をつとめる「みどりの会議」サポーターズ・フォームに参加しました。
 今日の講師は、並みいる政治家の中でもとりわけ好きな武村正義さんでした。内容も「地方自治と環境主義」という魅力的なもの。
 ところで講演の内容は、中村さんからの希望でがらりとかわり、八日市市長・滋賀県知事時代の体験から、具体的な地方自治に対する考えを述べる、というスタイルになりました。
 それはそれで胸にしみいる内容でした。とくに、滋賀県知事時代、琵琶湖に赤潮が発生したことをきっかけに、合成洗剤追放の条例を制定したくだりでは、「合成洗剤よりも1割高く、ぬるま湯で溶いて使うという不便さもある粉石けんを使うと決意した県民の意志が、琵琶湖をよみがえらせた」という体験から、市民・県民を信じることで、自分の理想の行政を実現できると信じているのだと、感じました。
 だからこそ、「真の地方自治の実現のためには、市民に汗と負担を求めなくてはならない」とキッパリ言い切れるのでしょう。
 市民を信じること、これがきっと、未来を明るくする政治の改革の原動力になるのだと、改めて感じて帰ってきました。 

市民派のスタンスを貫くために、無所属で立候補します
(2月5日)

 皆様のお力で、初当選させていただいた前回の選挙では、社民党の推薦をいただき、東武労組、自治労等のお力添えもいただきました。改めて、御礼申し上げます。

 ところで、この4月に行われる市議会選挙について、昨年の夏以来、党の春日部総支部に、私の処遇について何度か問い合わせていましたが、「まだ決まっていない」、との回答ばかり。
 昨年12月10日の総支部大会で再度尋ねたところ、突然「党員としてふさわしくない議員活動をしている」と言われました。3年半余り議員活動をしていて、初めてのことだったので、具体的な理由を尋ねたところ、別の機会に話合うことになりましたが、一向にその会議は開かれません。

 そこで、私の政治活動の届出団体である「片山いく子と一緒に市政に参加する会」では、1月20日に話し合いを持つよう、要望書を提出しました。その話し合いが、今夜やっと行われました。
 内容については、ここでお伝えするべきものは、ほとんどないと言っていいというほど、水掛論になってしまいました。ただ、党の総支部の役員の総意として、
1.30人学級の実現に向けての請願に反対した
2.乳幼児医療費無料の年齢引き上げに反対した(2002年9月議会)
3.草加市長選挙や三郷市議会議員選挙で、党の推薦・公認の候補を応援せずに対立候補を応援した
 等が、党員としてふさわしくない議員活動である、と判断したようです。「9.11の事件に対する武力攻撃反対」や、「有事法制」についての反対運動に対しても、党と歩調を合わせずに、独自の活動をしたことも指摘されました。

 私は30人学級の問題にしても、乳幼児医療の問題にしても、反対の理由を議会報告にまとめたり、ホームページで公開したりしてきました。市民派の議員として、納得できないものに対しては、賛成するわけにはいきません。また、私に対して一度も「それはおかしい」という指摘もなく、議論する機会も与えられなかったので、是々非々の立場で臨んでいいものと思ってきました。
 選挙については、確かに党が推薦した候補や公認候補の応援をするのが、当たり前で、それについては指摘されればその通りだと思います。
 しかし、私が市議選に立候補すると決意をした一番大きな理由が、「このままでは投票したいと思う候補者がいない」という私の思いであり、仲間の思いであったことを考えると、自然の流れとして他の自治体の選挙でも、議員として一緒に活動して欲しいと思う、ネットワークの仲間の議員を応援することになります。

 「武力攻撃反対」や「有事法制反対」の運動については、「不安だけれど、ではどうやって国を守ればいいのか、と迷っている人たち」、そして「反対の声をどこに届けていいのかわからない」、という人たちと一緒に行動しようと思いました。それは私自身が、何も組織に属していなかったころ、一生懸命手探りで活動した経験から、自分の情報を提供し、一緒に考え、声を集める存在の必要性を痛感したからです。
 組織的な運動は、私がいなくてもなんとかなるけれど、この手作りの運動は、仲間のみんなと一緒であっても、とても手間暇のかかる作業です。だから、党の指示する街頭宣伝や集会への参加も、できるかぎり、という形をとらざるをえませんでしたが、私は一歩一歩積み重ねてきた私たちの運動もまた、平和を守るための一つの力になると信じています。
 だから、私がそういうスタンスでやってきた活動が党員としてふさわしくない、と判断されたのなら、私は党員であってはならない、改めて、無所属・市民派としての自分のスタンスを貫こうと、今、決意を新たにしました。

 思いがけず市議会議員となり、単に推薦を受けたからだけではなく、それまで土井党首の提唱した「これからは市民との絆を深くして」という社民党の姿勢に賛同して「市民の絆・東京」の会員として活動してきた経緯から、自然に党員となってしまった私ですが、一つだけ肝に銘じたことがあります。
 それは、自分の活動を自分の選挙活動に結びつけないこと、社民党の党勢拡大に結びつけないこと、です。
 活動は市民として参加する、選挙は選挙、切り離して考えようと思ってきました。そうしないと、市民運動を利用することになってしまうからです。
 それでも、私は社民党員であることを隠さずにきましたし、衆議院議員の選挙のときは「社民党の日森ふみひろをお願いします」と応援しました。
 しかし、日常の活動は、市民の立場を貫くことで思いを共有することができれば、いつか社民党を支持する人も自然に広がると信じてきました。
 それが党を前面に出さず、党のために力を尽くさなかった、と言われれば、そうかも知れません。

 前回の選挙の合い言葉は「自分がされていやなことはしない」でした。市民の集まりの場に議員の顔をして出席し、挨拶だけして帰る議員の姿を好ましく思っていなかっただけに、自分が議員となっても、議場や議員として要請された場を離れれば、常に一市民、一会員として行動する、それが私のスタンスにもなっています。
 日常の活動は一市民として、いかにみんなと一緒に考え、学び合い、思いを共有するか。そして確かにそれは、議員としての大切なコヤシになるものであり、その活動が私を育ててくれていると、今でも確信しています。
 だから、胸をはって、「無所属・市民派」として、一期ではやりきれなかったことの数々を実現するために、もう一度、議会で活動するために立候補したい、と思っています。

改めて、「わらじ流」のすごさを認識
(2月1日)

 「月刊わらじ」にずっと絵日記を連載している、盲聾唖といわれるいわば三重苦の橋本克己画伯。今日はその「克己絵日記」をまとめた本、「克己絵日記パート」の出版を祝う会でした。
 会場は、いつものわらじ流の公民館ではなく、福祉センターだったので、今回は会費だけもって参加すればいいのか、と楽観していたところ、「一品持ち寄りにご協力を」との電話連絡。
 この段階でもまだ、サンドイッチかお寿司、オードブルくらいは用意してるんだろう、どっさり残っている白菜を利用して、ロール白菜を30人分くらい用意し、大根の芥子漬、赤蕪の甘酢漬など、あるものを取り合わせて持参。
 ところが……。
 会場に着くと、「クリスマス会」のときのように、みんなわらわら持ち寄った料理をテーブルごとのお皿に分けているではありませんか。
 えっ! 何も料理はとってないの! 足りるかしら?
 ところが、会がはじまるころには、どっさり赤飯が届いたり、サンドイッチが届いたり、天ぷら、煮物と十分な料理がテーブルに並びました。さすが! わらじ流!

 ところで会は、新しく入った若いスタッフの進行で進み、克己画伯も乗りに乗ってバンド演奏のコーナーではマイクをはなさず……。会場では「お久しぶり」と、結婚や就職等で会になかなか参加できなくなったなつかしい面々の顔がそろい……。
 ついこの間までおむつをしたり、よちよち歩いていた、いわばわらじ二世がもう大人や高校生になっていたり……。
 新旧のメンバーが心地よく溶け合って。
 改めて、わらじの会が地域でつむいできた、20数年の歳月の偉大さを感じました。

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