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合併後の議会を、一体どうするのか
(11月28日)

 会派の勉強会の中心議題の一つは、合併が成立したら、その後の議会をどうするのか、という問題でした。
 合併して新しい市が誕生したら、それ以前の1市3町の議会は即財に解散し、新しい議会の構成で新しい議員の選挙を行うのが筋です。
 しかし、これには合併してしばらく続く、それまでの1市3町がお粉的他行政課題や運営を、新しい市の方式に移行させるという移行期間を、新しい議員で担うことができるのか、という課題が残ります。
 そこで、合併後最長2年は、現時点での議員の任期を延長することができる、という合併特例が認められています。
 過去の合併の例のように、合併まで10年前後の期間をかけて合併論議が進めば、混乱も少なくてすむでしょう。しかし何が何でも平成17年3月の合併特例法の期間内で結論を出す、というのが、現在の1市3町の進め方です。合併協議の中で次第に明らかになってきているように、1市3町が独自に進めてきた、いわばその地域の特徴的な行政施策については、合併前に調整することは不可能として、合併後に先送りになっています。
 そこをきちんと議論するために、ある程度の特例期間を設けて、現在の議員が責任を持つ必要がある、というのも一つの見解です。
 「新政の会」では、ある程度の期間は合併特例を使って、現在の議員で審議する必要がある、と考えています。理想的には、旧市町の前年度の決算審議をする9月までの半年、長くても、次年度予算を審議する3月議会までの1年。それ以上は、1市3町合わせて96人もの議員を要する議会は、むしろ議論の場になりにくいと考えます。
 ではその特例期間中、議員報酬はどうするのか、特例で期間を延長するのですから、議員報酬は現行通りが筋というものの。ところが、一つの市としてまとまるのだから、報酬の違いがあるのはおかしい、という声が上がるのは不思議です。一つの市としての議会、を求めるのなら、即解散すべきです。
 この議会の問題だけは、議員の身分に関することとして、行政でなく、各議会間の調整に委ねられています。報酬の問題は、報酬審議会に委ねられます。
 ご都合主義にならないよう、少なくとも新市のあるべき姿をどうしたらきちんと審議できる議会になるのか、という前提で議論したいと思っています。


市民のためのSARS対策は

(11月27日)

 病院運営委員会の中心の議題は、7月に法定伝染病となったSARS対策として、市立病院に隔離した診察室や、入院施設に搬送するまでの一時的な隔離病室を設けることに伴う補正予算案でした。
 説明の中で、「最も感染の危険性があるのは、医療従事者」という前置きがあり、また、県から明確な指針がないことから、まだ、「感染症の流行に対する備え」という位置付けになっている、とのことで、かなり、中途半端な感は否めません。
 感染したと思われる患者を搬送するカプセル型の救急車が県内に一台しかないこともあり、もし、万が一、県内で感染が広がったときには、打つ手がない、という事態にもなりかねません。
 チェックポイントの一つ、「WHOが指定した流行地域から帰国した」というのも、たとえば指定される前に帰国したり、そこから来訪した人と接触したなど、空港での水際作戦からもれた場合に、流行の引き金になる危険性があることでしょう。
 自分はSARSに感染したかもしれない、という自覚のない人が、発熱や呼吸障害で救急車をよんだ場合などどうするか、これは消防署の管轄。市民に自衛の手段を呼びかけるのは市の健康課。こういった縦割りの組織にまたがる問題であればこそ、もっと、横の連携をはかって、医療従事者だけでなく、市民を流行から守る対策を検討してほしいと思いました。
危機というのは、全く非日常の事態なのですから、いつものルーティンワークだけで危機管理マニュアルができるわけがない、という視点を求めたいと思います。


合併協議、議論はどこで?

(11月25日)

 合併協議会も、10回目になりました。
 今日は、地方税、健康保険税、介護保険事業、公共施設の利用料など、市民の負担に直結する議題が論議されました。
 月2回、午後からの協議会だけでは、とても十分な議論ができないと、前回からあらかじめ議案書を各委員に送り、質問や意見を事務局に提出した上で、協議会が開かれることになっています。
 しかし、それでも、重要な議題になると議論が白熱して、なかなか先に進まない、という場面がしばしば。
 合併に関する住民の意向を確認する手段として、「住民投票」にするのか、「有権者全員に対するアンケート調査」にするのか、という問題と、「新市の名称」をどのように決めるのか、という議論が行われる頃には、5時を回っていました。

 いうまでもなく合併協議会は、合併に関する重要な問題を協議する場です。今日の議論では、「国民健康保険税」が、現在でも1市3町の中で一番高い春日部市の税額より、さらに高くなることから、議論となりました。
 一部の委員から、「この際、国民健康保険事業そのものの見直しの上で、税額を決定すべし」という意見が出ましたが、これに関しては「事業主体者は市町村になっているけれでも、あくまでも国が決めた制度を運用しているだけ」という意見もあり、最後はあっけなく、事務局案を承認するかどうかの採決となってしまいました。
 最終的に、「負担」についても明示した「合併膏薬」を発表した上で、合併の賛否を住民に問う訳ですが、もっと徹底的な議論が必要なときには時間をかけて欲しいと思ってしまいました。

 金曜日の新人議員ガパネラーになったシンポジウムで「議会は執行部とは議論するけれども、議員同士で議論する場がない」という疑問がだされましたが、その問題点が、合併協議にも現れています。次回の「合併検討協議会」で、この点について、提案してみます。



仔猫もらってくださる方はいませんか
(11月22日)

 20日に物置から逃げ出した仔猫は、昨日の朝、玄関先の段ボールの中で眠っていました。このまま外に置いておくと、びっくりして逃げ出したときに、我が家で戻ってこれなくなる可能性もあり、ミャーミャー泣いてご近所迷惑になる心配もあり、なんとか家の中に入れようと試みました。
 餌の器を玄関の中に入れ、少しづつ奥に移動して、やっと玄関の戸を閉めて家の中に閉じこめることに成功。
 ところが、夜、どうしても玄関においた段ボールベッドの中に入らず、階段を上りきったところで寝てしまいました。夜は二階の私のベッドで寝る習慣のネルとノルダが、階段を上ったところで仔猫と遭遇、怒って外に出たまま帰ってきません。二男に「軽率に家の中に入れた」とさんざん叱られてしまいました。
 朝、やっと二匹は帰ってきたのですが、とりあえず仔猫は私の仕事部屋に軟禁状態です。ノルダは、ラーンを引き取ったとき、半年以上円形脱毛症になったこともあり、できればどなたか仔猫をもらっていただけるとありがたいのですが。写真のように、今は鼻水と目やにがガビガビだった跡が残ってきたないのですが、風邪が治ったら、きっと美人になることでしょう。



若い力で地方議会はきっと変わると実感
(11月21日)

 午後、最初は「日本生態系協会」の政策塾に出かけました。
 理事である堂本さんの紹介してくださった、「環境」を中心にすえた欧米の都市計画の例は、ただただため息が出るばかりでした。
 日本では、どうしてこのような街づくりができないのか……。もう、経済的な発展ばかり追いかけてきたことの行き詰まりを反省し、自然も生物も人も共生できる、豊かな生存を支える街づくりを考えなければいけない時代になっていると思わずにはいられません。
 今日の政策塾には何人か、国会議員も参加していましt。是非、超党派で、これ以上の環境破壊をやめ、自然の済世を可能にするための政策を、模索してほしいと願います。
 夜は「NPO法人コラボ」と「一新塾」共催の「トップ当選新人議員がみた、地方議会のバカの壁」というシンポジウムに出席しました。ぐうぜんにも同僚議員である白土さん、主観金曜日読者会時代からおつきあいのあるさいたま市議の土井さん、そして、「自治基本条例」策定の経過を伺ったことのある、26歳の多摩市議岩永さんと、4人のパネラーのうち、3人が顔見知りなので、興味深く話を聞きました。
 タイトルこそ過激ですが、「国会とはちがって、議院内閣制をとっていない地方議会で、なぜ与党野党が存在するのか」、「議論が常に行政対議員で、議員同士が議論する場がないのはなぜか」、「国のミニチュアのように、政策決定権を行政が握っているのはなぜか」など、根本的な疑問がえぐり出されました。
 ではそれをどう解決していくのか、近道は内容に思います。住民の皆さんと議論しながら、真に住民の代表としての仕事ができるように、地方自治に於ける議員の役割を認識した議員を増やすことが先決、と思いました。
 「若いだけで何ができる」という声も聞くことがありますが、若くて、しがらみにとらわれずに物を言える、こういう力が、地方から政治を変えていく原動力に、きっとなることでしょう。



生命力を信じて
(11月20日)

 一昨日の夜から、右足を引きずった、両目の下がただれた生後2カ月ほどの野良ネコが、家の周りをウロウロするようになりました。
 餌をあげても警戒心が強く、人が近づくと脱兎のごとく逃げ去ります。
 風除けにバスタオルを載せた段ボールを置き、餌と水を置いて1日半。今日は雨で生活クラブ生協主催の「野鳥観察会」が中止になり、「風の便り」の配布もできないので、段ボールの中で熟睡しているところを夫と長女、三人で協力して洗濯ネットに入れて、菜の花動物病院にやっと連れて行くことができました。
 千田先生の診察の結果ヘルペスウイルスとカリシウイルスに感染しているとのこと。
 我が家の3匹の猫は、いずれも捨て猫、もしくは野良猫が産み捨てて餓死寸前の状態で拾われた猫たち。
 平方で拾った長女猫ネルが、今までは二女猫ノルダと二男猫(捨て犬だったくうが長男のため)ラーンが我が家に来た当初、面倒を見てくれたのですが、今回は病気が治るまでは隔離が必要です。
 物置を隔離病室にしたのですが、餌を足すときにやっぱり警戒されて、逃げ出されてしまいました。果たして戻って来てくれるのかどうか……。もう、本人の生きる力を信じるしかありません。
 千田先生のお話では、最近、捨て猫なのか野良猫が産んだ子なのか、病気やけがで持ち込まれる野良の子猫が多くなっているとのことです。「家では飼えないからと餌だけ与えている例が多いせいかも知れない」とのお話しでしたが、もし、旧谷中小学校の跡地を活用することができたら、私はそういった「地域猫」「地域犬」の飼育場をつくりたいと思っています。
 団地やマンションなど、家の事情でペットを飼えない子ども達や高齢者の方と、みんなで一緒に、捨て犬や捨て猫の世話ができたらいいと思うのですが。



合併後の市の名前!
(11月19日)

 会派の勉強会がありました。
 前半は、25日に開かれる第10回合併協議会の協議事項の検討です。
 協議は、地方税・国民健康保険税・介護保険税等の取り扱い、条例・規則の取り扱い、補助金・交付金の取り扱い、使用料・手数料の取り扱い等、市民生活に直結する事務事業調整に入ってきています。
 1市3町の調整は、「原則としてサービスは高い水準に、負担は低い水準に合わせるよう努力する」という、今までしばしば繰り返されてきた説明を、撤回すべきではないか、という議論になりました。
 たとえば、国民健康保険税は、低い水準に合わせると市の一般財源からの繰り入れが多くなることになり、逆に繰り入れを押さえると、税額がはねあがることになります。国民健康保険事業をどのように運営していくのか、その議論の末の税額の決定でなければならないはずです。
 納期にしても、現在春日部市、宮代町は6回分割納付、杉戸町、庄和町は10回分割納付ですが、間をとったように8回分割納付というのは疑問です。システムの変更上、いっぺんににするのはむずかしい、という説明ですが、どうせ、システムを替えるのなら、納めやすい10回分割納付にするべきではないでしょうか。
 「中をとって」というような妥協の産物ではなく、新市になったときにどういう事業展開をするのか、という理念から出た構想でなければ、丼勘定と勘ぐられても仕方がないと思うのですが……。
 そのような印象をもたれないように、きちんと税額や手数料等の決定に至った根拠を、市民が分かるように説明してほしい、と申し入れをしました。
 私がもう一つ気になっているのは、新市の将来像を描く元になっている主要指標の見通しです。
 「中核市への以降による都市核の向上、中心市街地の活性化や地区開発、さらには庄和インター周辺への新産業の集積や東埼玉道路の整備などにより、社会増を中心とした人口の一層の増加が見込まれる」と、実にさらりとまとめられています。
 確かに合併の先進事例では、人口増が認められる例があります。しかし、これだけ全国的に合併が推進されている中で、また全国的に人口減が社旗問題になっている中で、合併したらすぐに人口増が見込まれるとするのはあまりにも安易なのではないでしょうか。庄和インター周辺へ、どのような新しい産業を集積するのか、それに対するシビアな検討も必要で粗湯。
 春日部としての問題では、中心市街土地を活性化させることが人口増につながるとはどうしても思えません。むしろ、中心市街地よりはずれた、住宅地域の准看強の整備・充実のほうが、よほど、新しく移り住みたい、という気持ちにさせる街づくりになるのではないかと思えてなりません。
 春日部市の中心市街地活性化のプランによると、「劇場型都市」とのことですが、都心から40H県内ということを考えると、むしろ、「良質なホームドラマ型」都市を目指すのことのほうが、よほど現実的に思えます。
 
 ところで、新市の名称募集で1位となったのは、なんと「東埼玉市」でした。「東さいたま」「東彩玉」など、字の表記はちがっても「ひがしさいたま市」というものが有効票5,267件のうちの17%、896票ありました。
 ちなみに、私が考えていた「古利根市」(1市3町の景観の中心となる古利根川にちなんで)は110票、ひらがなや古いという字に抵抗があるのか古いというじだけひらがなにしたものも合わせると149票ありました。
 今後、応募の結果から選ばれた5案と、現在の1市3町の名称、9候補の中から選定に入ることになります。

 後半は、会派を結成して半年経過したところで、会派の在り方を見直すぎろんとなりました。他の会派からは「寄せ集め」と見られることの多い「新政の会」ですが、個性的なそれぞれが、お互いを尊重して議論を戦わすことの多い、有意義な会派だと、今のところ思っています。
 とくに20代の新部・白土両議員が、熱い思いを述べ、先輩議員がそれに触発されることも多く、20代〜70代という年齢層の厚さを生かしていけると会派としても充実するのでは、という期待が持てます。

 夕方、旧谷中小学校跡地の問題について、15日のワークショップの呼びかけをした、白土議員、渋田議員と話合いました。
 住民の皆さんから出されている、市側との話し合いを実現するために、緊急に色々な角度から検討をしつつ、「反対運動」という狭い運動にならないために、幅広い人たちの力を集めるための方向性を探ることにしました。 

 
ごく当たり前の市民感覚と、行政のくいちがいを解消したい
(11月16日)

 「旧谷中小学校跡地について考える会」の呼びかけによる話し合いが行われました。最初は「ワークショップ」を通して、様々な考えを出し合いたいと予定していましたが、参加者が少なかったので、とくにチラシを見て参加してくださった方の経緯を知りたい、という疑問について説明する形で進めることにしました。
 新聞には「反対する住民」という見出しで紹介されましたが、とくに反対運動を展開する、ということではなく、「どうして三分のに売却しなければいけないのか」という住民の疑問に対してどう考えても十分な説明が行われているとは思えないことから、当面、再度の説明を市に求めていくことにしました。
 参加した方のほとんどは、できれば売却しないで、まだ使える校舎を含めて、有効活用できる方向を検討してほしい、という意見です。
 たとえば、
・校舎を解体しなければ、2億2千万円の解体費用は必要なくなるので、グランドだけの売却で済むのではないか。
・三分の二売却しても、市には4億3千万しか残らないのだとしたら、何とか財政を見直してひねり出せる金額ではないのか。財政がひっぱくしている、というなら、それも含めてきちんと説明してほしい。
 等、当然の要望だと思います。そういう素朴な市民感覚を受け止めた検討の経緯などを、きちんと説明すべきだと思っています。
 それと平行して、この会で出された意見をまとめ、賛同人を募って、市に要望書を提出することにしました。
 この問題に関心のある方、どうか、要望書に対するご意見をおよせください。そして、賛同人に加わってください。 



赤字続きの水道事業について考える
(11月14日)

 午前中の合併検討協議会に引き続き、水道事業の現状に着いての勉強会がありました。
 水道事業は、核家族化が進み、一世帯当たり平均2,65人という現状に加えて節水意識が進んでいること、不況の影響で、営業用の水道供給量が落ち込んでいることなどから、2年連続の赤字が予想され、累積欠損金も15年度末には2億5千万円強になる見込みです。
 なんとか値上げせずにこの現状を打開する案はないものか、会派で水道事業部からの報告と意見交換を行いました。
 ふと、疑問がわきました当面の打開策ではありませんが、今の水道事業では、全てを、安全に飲める状態にして給水しています。これには莫大な経費がかかります。
 トイレの水であれば雨水などの中水で十分ですし、お風呂の水も安全基準まで達しなくても十分と言えます。
 今後の課題として、例えば中水利用の建築を促すとか、突飛かも知れませんがなど、目的別に分けた水の利用を考えるべきではないかと強く思いました。
 何も、すべての水を飲料水にする必要はない、という発想で水道事業を検討していくことも、将来的には必要だと思います。

 会派では、合併協議の中で問題になっている、合併した場合の議会についても話合いました。
 「新政の会」では基本的には、
・合併の特例として認められている期間延長は望ましくない、合併後の調整のため延長が必要だとしても、せいぜい半年か1年。
・その際の報酬は現行の1市3町それぞれの報酬のまま。
・合併した後の議員の定数は40人前後。
 という方向で一致しています。
 期間は特例を使って延長し、報酬は春日部市に合わせるというのは筋が通りませんし、合併して新市になるとすれば、議会も新市としてスタートする方が、一体となって街づくりを進めようという気運が高まると考えます。
 この時に問題になるのが、現在、宮代・杉戸・昭和の3町が独自に進めている街づくりが、少数意見となってしまうことによって、頓挫するのではなか、ということです。
 それを防ぐために、地域協議会をきちんとした組織にすることが求められていると思います。
 さらに、この協議会を、住民参加の街づくりの基本とすることで、議員の人数を思い切って必要最小限にし、住民の協議会を受けて、公正な判断・決定を下す機関とすることも可能だと思っています。



職員給与の改定のため、臨時議会が開かれました
(11月13日)

 昨年に引き続き、公務員の給与引き下げの人事院勧告が出たため、市役所の職員緒給与改定に伴う条例改正を議題とする臨時議会が開かれました。
 不況の中、民間の給与ベースがどんどん落ちているこの時代、公務員給与の引き下げもやむを得ないのかと思いますが、本俸の改定は、退職金年金にも影響してくるため、職員緒皆さんには重要な問題です。
 しかし、景気の良かったときには民間のベースアップを元に引き上げられてきたことを考えると、大筋では認めざるを得ません。
 ところで、では市長など3役や議員は、ということになります。そろそろ議員報酬も考える時期かとは思いますが、諸金給与は今回の2年連続の引き下げでも、まだ、平成7年を100として、1.015%と若干のプラスなのに比べ、特別職・議員はその間ずっと据え置きなので、今回は期末手当の0.25カ月の減額のみとなりました。
 春日部市の場合は、人口20万人規模の市の議員報酬の中では最も低い方になるので、今でも子どもの教育などにお金がかかる時期の人では、議員報酬だけで生活を支えるのはむずかしい、という現状もあります。
 議員報酬は、議員のありかた、定数などとも合わせて考える必要があり、合併問題の中での、一つの論点にしたいと考えています。
 ご意見、お寄せください。



命・くらしを守るということ
(11月12日)

 午前中は、障害者が地域で共に暮らすための介助システム「わら細工」と春日部市の障害福祉課との意見交換会がありました。
 テーマは、「全身性介護人派遣事業」についてです。この制度は、支援費制度ができたことによって廃止されたものの、春日部市が単独事業として平成15年度は継続してくれたものです。16年度はどうするのか、利用者と障害福祉課が、率直な話合いをもちました。
 「全身性介護人派遣事業」のすぐれた点は、介助を希望する人と、介助する側が、マンツーマンで登録できるということです。
 支援費制度では、事業所に登録するヘルパーさんは、資格をもっていなければいけません(現在は、支援費への移行措置として、無資格のヘルパーさんでも、経験があれば「みなし」として認められていますが)。
 地域で暮らす障害者の生活を支えるとき、「わら細工」は、資格のあるなしでなく、障害者の生活に合わせて介助のできる人、ということが最優先になってきました。資格ではなく、関係性こそ大事、と考えるからです。
 また、介助を受ける人が介助者を選ぶ、ということも、ある程度可能になってきました。無責任だったり、本人が望む介助ができなかったりすると、「クビ」ということもありえます。
 また、制度の利用目的がゆるやかで、身体介助や移動介助といったくわけがないことも、使い勝手がよいのです。通学や就労といった社会参加の介助も可能です。
 市の財政負担も、支援費の四分の一負担とほぼ同額か、若干低い額になります。
 支援費の目的である「措置」から「契約」ということを考えたとき、むしろ現行の支援費制度よりも、「全身性介護人派遣事業」の方がより、理想に近い形ではないかと思うとき、是非、支援費制度のもつ問題点をかいぜんしていくためにも、「全身性」の制度を存続してほしいと思わずにはいられません。
 できれば、知的障害を持つ人や、精神障害を持つ人にもこの制度が適用できるようになれば、と願いつつ。

 午後は、市立病院運営委員会の視察で草加市立病院にでかけました。
 赤字続きの病院経営を、3年で黒字に転換し、現在新病院のけん説を進めている草加市ですが、お話しを伺えほどに、秘策があるわけでなく、徹底したコスト削減と、患者本位の医療を心掛けたという、王道を貫くことが大事と納得。
 「当事者のモティべーションが鍵」という病院長の話が印象的でした。



戦いのあとで

(11月10日)

 総選挙の開票結果が全部決定した深夜、複雑な思いでその結果を流すテレビ画面をぼんやりと見つめていました。
 民主党が200議席をこえるか、という事前予想とは裏腹に、議席をのばしたとは言え、自民党を中心とする連立与党が安定多数を獲得しました。地元13区では自民党候補が辛勝とはいえ、小選挙区で当選。
 政権交代可能な2大政党論のかげに埋没してしまった社民党の議席が激減し、「市民との絆」、「女性と政治スクール」で一時活動を共にし、市民派としてがんばってきた人たちの大半が、議席を失いました。
 そして、私が選挙期間中、応援に足を運んだ、東京21区、無所属の川田悦子さんも、落選しました。

 政党や組織の支援を受けず、ボランティアによる勝手連選挙で戦う、この方式で、県知事選挙、総選挙と、二つの選挙の敗北を体験したことになります。
 板東真理子さん、川田悦子さん、ともに候補者としては当選した候補者とそん色のない、というよりも、私たちの代表としてふさわしい候補者だったと思っています。
 それでも、今の選挙制度の中では、無所属候補は圧倒的に不利です。せめて選挙期間中の政党活動を禁止すべきだと思うのですが、比例区がある以上、それはむずかしいことでしょう。
 では比例区はない方がいいのか、というと、それでは民主主義の一つの柱である、「少数意見の尊重」という要素となる議員がまったくいなくなってしまう恐れがあります。
 組織や政党に属さなくても選挙で勝てる体制をどうつくっていくのか、それが今後の大きな課題となりました。
 議員は特別な人でなければ出来ない仕事なのではなく、選挙は「カバン、ジバン、カンバン」がなければ勝てないのではなく、ふつうに働き、暮らす人がなれる仕事にならなくては、政治の世界は変わらない、と思うからです。 



生き甲斐で働いて暮らしていくためには
(11月9日)

 社会福祉法人「つぐみ共生会」の評議員会がありました。上半期の事業報告、会計報告のあと、懸案だった給与改定について議論が。
 法人が設立されて8年、正規雇用の職員が増え、どうやったら働いている人の暮らしを支えることができるのか、と四苦八苦していた単なる地域の運動体だったころと雲泥の差にはなってきましたが、だからといって、スタッフが望むように、「所帯をもって暮らしていける」給与体系にはなっていません。
 しかし、福祉法人という性格上、収益をあげる事業展開は無理で、そこらがむずかしいところです。
 働きの中心を担う若い人の生活をキチンと保証できるよう、下に篤く上に薄く、という給与体系を安易にとってしまったら、今のスた府が働き続けたとき、もっとも生活費がかかるようになる年令で、給料が少なくなる、問いう問題も生じます。
 また、「つぐみ共生会」の職員の給与だけでなく、わらじの会が広げた活動の各場で働く人たちは、給与表もなく、パートや嘱託のような条件で働いているので、その人たちとの格差も問題になってきます。
 雇用に頼らず、生き甲斐で働き暮らせるシステムを、というのが構造改革の一つの要素であると考えるとき、それを支えるシステム造りの難しさを考えさせられました。 



50の手習いパート2
(11月7日)

 印刷屋さんに版下のデータを渡そうとして次々にトラブル発生。文字化けしないよう、アウトラインをかけているのに文字化けが起こったり、罫線が消えたり……。最終的にpdfにしたのに、なんで文字化けが起こるの??? パソコンの基本的な構造を理解することから目を背けたまま、強引に使いこなそうとしている自分を深く反省。時間のあるときに、きっちり指導を受けます。
 というわけで、月曜日から配布する分が間に合わないので、午後から通所授産施設「べしみ」の印刷機をお借りして、自分で印刷する羽目に。印刷主任のOさんが不在で、エラーメッセージが出るたびに???
 周りの人たちを巻き込み、夕方仕事が一段落して応援に来てくれた夫の手を借り、5千部印刷して二つ折が終わる頃にはとっぷり日が暮れていました。

 作業しながら、「ミニコープせんげん台店」で職場実習しているMさんと四方山話。「お客さんがきてくれないと暇なんだよね」、「忙しくても仕事があったほうが嬉しいよね」etc.
 実習に行くようになったせいか、すっかりオバさんの会話に話を合わせてくれるOさんに、うれしくなりました。
 せんげん台付近の皆さん、ちょっとした買い物は是非「ミニコープ」にお出かけください。



50の手習い
(11月5日)

 今日の例会で、「風のたより27号」の校正刷りで内容を検討してもらいました。
 自分でつくっていると、つい一人よがりになってしまうので、たくさんの目を通すと、少しは読みやすくなるように思います。感謝、です。
 ところで、27号の発行が遅れています。参議院選挙、衆議院選挙と続いて配布がむずかしいため、時間があるこの時期に、思い切って一度挑戦して挫折したままの、編集ソフトの切り替えを! と IN Design に挑戦。
 新しいソフトはなかなか使いこなすのがむずかしく、思わぬところで時間がかかってしまいます。何とか「お師匠さん」の力を借りて4ページできました。
 きっと、私は、このソフトの機能の何千分の一も使いこなせていないのだろうな、と思いつつ、自分が必要な機能さえ使えればいいか、と自分を納得させています。なんといっても50の手習い(そろそろ60の手習いに近くなっていますが)なのですから。 



合併は規定の事実ではないのに
(11月4日)

 第9回の「合併協議会」に向けて、議会内の有志で構成する(といっても参加していないのは共産党のみ合併検討協議会が開かれました。
 主に、9回会議では、主に事務調整について協議されますが、たとえば公共的機関の取り扱いについても、春日部市のみにある「福祉公社」、杉戸町のみにある「施設管理公社」こういった機関をどうするのかといった大切なことが、合併後に検討、となっていることに、疑問を感じます。
 福祉公社と、他の町が公社が所轄する事業を運営している社会福祉協議会をどう統合するのか、というのは、形の問題だけでなく、たとえば春日部では福祉公社の嘱託職員となっているヘルパーさんや放課後児童クラブの指導員さんたちの雇用形態がどうなるのか、といった、福祉施策に大きくかかわってくる問題だからです。
 どうも、期限ありきで進んでいるこの合併協議、大事な問題ほど、「すり合わせに時間がかかる」との理由で、先送りにされそうで、注目していかなければなりません。
 ところで、ある議員より、富士見市等の合併が白紙になった問題に関連して「なんとしても、春日部市の合併は白紙に戻さない覚悟ですすめてほしい」旨の発言がありました。
 議員の仕事は、「合併をすすめていいかどうか、冷静に判断すること」や、「市民にどうしたら、合併の是非に対してきちんと判断してもらえるか」といった努力をすることにあるのでは、と、違和感を覚えました。



投票日が近い、今だからこそ「平和」について考えたい
(11月2日)

 好転に恵まれた、福祉まつり「ふれあい広場」が開かれました。87団体もが集うこのふれあい広場、今年もたくさんの人が訪れ、それぞれの団体の出店で買い物や食事を楽しんでいました。

 その合間をぬって、第8回のピースウォークに参加。西口からスタートしたメンバーとふじ通りで合流し、「ふれあい広場」の会場である大沼運動公園までブラブラ歩きながら、ビラを配りました。
 今回は、三線と太鼓が揃い、また、このホームページを見て参加してくださった方もあり、少人数でもにぎやかに楽しくウォークできました。
 ビラも、会場前のたくさんの人手で500枚をほとんど手渡すことができたのですが、このビラをつくるときに、議論がありました。
 総選挙の投票日も近いこともあり、「この選挙の機会に、本当に日本が平和を守り続けることのできる国であるために、何が求められているのか考えよう」という呼びかけにしたのですが、「憲法9条をないがしろにする政党に平和は守れな」、という一文を入れるかどうかでもめました。
 私自身は「いま、平和のためにできることは実行委員会」は、改憲が必要とする人も参加して、議論できる場であってほしいと思っています。
 しかし、改憲、論憲、創憲、との言葉が飛び交っても、今回のせんきょで公約としてきちんとそれをうたって、国民の賛否を問うという姿勢が見られないことに不安を覚えます。
 前回の選挙で多数の議席を占めた途端、「テロ対策特別措置法」、「周辺事態法」そして「有事法制」と、選挙で国民の審判をあおがないまま重要な法律を通してしまったことを考えると、また、同じことが起こってはいけない、と思います。
 少なくとも、改憲なのか、平和憲法は守るのか、きちんと国民的議論をまきおこして徹底的に考え、最後は国民の選択に委ねるべき問題だと考えます。
 日本を戦争のできる国にして国を守るのか、あくまでも平和外交で国を守るのか、それは、国民の意思であり、決意であると思うからです。



本当のゆとり教育って?
(11月1日)

 子どもたちの母校である中学校の公開授業を参観しました。
 末っ子の二男が中学を卒業して、もう4年近くたつので、こういう機会は、中学生の学校生活をみることのできる、貴重な機会です。
 いろいろ見たいと思っていたのに、ついつい、一つのクラスに釘付けになってしまって、2年生が中心になってしまいました。
 2年生のあるクラスの国語の授業では、辻仁成の「新聞少年の歌」が教材となっていました。ゥ〜ン、辻仁成が教科書に載る時代なのか! 長男が10年近く前に彼の小説にこっていたことがあり、付き合って読んで見たことを思い出しながら、参観。
 残念ながら、教科担任の先生が、辻仁成の人となり、つまりロックミュウジシャンで云々、という解説をしているのかどうかは不明でした。
 数学は「選択授業」とのことで、「連立二次方程式」を学ぶクラスと、「証明」を学ぶクラスに分かれていました。
 授業に集中しない子が目だつのは、以前からのことですが……。
 全体的な印象として、先生達の「時間がないから」という言葉の多さが気になりました。
 たとえば国語の授業では、漢字の読みや意味を先生が教えて覚えさせています。気になって帰宅後二男に聞いたところ、二男の頃には辞書を引かせていたとのこと。
 先生に教えられるまま10個の単語の読みや意味を覚えるより、自分で一つの単語を辞書で引き、考える方がずっと役立つように思うのですが、、それでは学期中に範囲まで終わらない、などの不都合が起こるのでしょうか。
 数学でも、もう一つの解方があるのに、と思いつつ、それには触れずに終わってしまったことも、とても気になりました。
 このような授業が毎日続いたら、きっと、勉強は楽しくないだろうな、授業に集中できないだろうな、と、子どもの頃、先生の話に集中できず、窓の外ばかり眺めていた私は、思ってしまいました。
 「ゆとり教育」が打ち出されたとき、とても期待しました。しかし今、「ゆとり教育」は学力低下の元凶とされ、批判を浴びています。
 今日の授業参観を見ていて、「ゆとり教育」が悪いのではなく、子ども達に「自分の分からないことは何かを発見し、どうしたら分かるか調べ、考える」という時間を奪ってしまった結果、本来の「ゆとり教育」になっていないことが問題なのではないかと思いました。
 授業時間を削るだけでなく、カリキュラムそのものからの抜本的な見直しが必要、という声があったにもかかわらず、そこには手がつけられなかったツケが、今、回っているように思います。
 現場の先生の努力だけでは解決できないこの問題、是非、一緒に考えたいものです。


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