【2005年9月】
イラク問題に関心を持つ人が増えている実感が
(9月24日)
「WORLD PEACE NOW 9.24」に参加しました。
今回は、「9月24日 世界中がイラク反戦」と言う呼びかけです。アメリカ、ワシントンのホワイトハウス前で行われる反戦行動に呼応し、「世界の人々とともに STOP THE WAR」を訴える行動ですが、9月11日、同時多発「テロ事件」4周年の「WORLD PEACE NOW 9.11」で急遽呼びかけられため、参加者は400名と、小規模な行動になりました。
3連休ということもあり、「ぴーす うぉく春日部」のメンバーは参加できず、「さいかつ九条の会」のメンバーと二人で参加。多分、他の方々もそうだったのでしょう。いつも見かける懐かしい顔も今日はほとんど見かけませんでした。
それでも、400人は元気に、心配していた台風の影響も少なく、雨も良い乍ら11日のような土砂降りにも見舞われず、茅場町-日本橋-東京駅-銀座-日比谷と約4キロの道のりをパレード。
警備する側も、いつものような人手を予想したのでしょうか。申し訳なく思うほどたくさんの警察官、そして、いつもはそれほど目立たない私服の公安。
彼らには、私たちのシュプレヒコールに込められた、メッセージは、どのような思いで伝わるのだろうと、ふと考えました。
アメリカでは数万人単位の人々が集ったそうです。韓国では1,000人、ヨーロッパでも…。
パレードは小ぶりでも、道行く人たちの中で受け取ったビラを熱心に読んでくれる人の数がふえてきたように思います。
「愛は共通」という言葉を最近目にしました。
「平和」を願う思いも共通のはず。共通であれば、連帯できる、それを信じて、世界中の人々と平和への道を築いていきたいものだと思います。
〈毎回参加し、国会の議員会館前でも「自衛隊撤退」を訴えている妙法寺さんのお経は、心洗われる、素晴らしい歌に聞こえます〉
いつまで続く、沖縄の「治外法権」
(9月22日)
夜、加須市役所職員組合の青年女性部が主催する、「
桑江テル子ひとり芝居『沖縄うない60年』を観る集会」に参加しました。
主催者のお一人が、「ぴーす うっぉーく」に参加している関係、案内をいただいたのですが、組合の青年女性部で、沖縄を訪れた方が、沖縄の現実に触れ、是非、一緒に仕事をする仲間と沖縄について考えたいと、今回の催し物になったとのことです。
教師・ジャーナリストという経歴から「基地・軍隊を許さない行動をする女の会」会員として、沖縄の問題を鋭く提起し続けている桑江さんのひとり芝居だけに、戦中は、アメリカ軍の本土上陸の防波堤として、そして終戦後は、日本の安全保障の盾として、「アメリカに差し出された」沖縄の悲劇が、まざまざとよびおこされるものでした。
本土への返還が1972年にじつげんしても、「地位協定」の拡大解釈で、米軍による住民被害は少しも改善されず、事故と隣り合わせの沖縄。そして、基地無しでは暮らしが暮らしが成り立たなくなるよう、ジワジワと外堀から梅られていった歴史は、今、普天間飛行場の代替えとして建設されようとしている、辺野古の海の飛行場単体運動に結びつきます。
非暴力を貫いて、建設のための測量に反対する人々と、それを支援する人々。あと一歩のところで、この飛行場計画の見直しの可能性も出てきました。
最後に桑江さんが言った一言、「憲法が改正されて、集団的自衛権が認められれば、本土が沖縄になるということです」。
「命は宝」と沖縄の人たちが叫ぶメッセージの重さを、考えてみませんか。
個人で、テロや武力攻撃に備えることができるの?
(9月18日)
「虹と緑の500人リスト」で、「国民保護法」制定に基づいて各都道府県が策定することになる「国民保護計画」に関して情報交換が続いています。
すでに示されている都道府県の内容は、驚くばかり、と思っていたら、今日のメールで、実は内閣官房が「武力攻撃やテロなどから身を守るために」という啓蒙パンフレットを発行していることがわかりました。
「はじめに」とする前書きには、
「外部からの武力攻撃やテロなどが万が一起こった場合には、みなさんの安全を守るために、国や都道府県、市町村が連携し、対応することとしています(注:国民保護法により)。
とありますが、
「しかしこうした事態が、いつ、どこで、どのように発生するかを事前に予測することは極めて難しい上に…」
とあり、前書きの最後には「この冊子は、武力攻撃やテロに際して、みなさんがどのように行動すればよいか、あるいは普段から何を備えておけばよいか、などについてとりまとめたものです」
とあります。
つまりは、武力攻撃やテロは、予測不可能、従って政府や自治体の対応も間に合わないかも知れないから、自分で自分の身を守る備えを、ということらしいのです。
武力攻撃やテロについては、
1 ゲリラや特殊部隊の攻撃
2 弾道ミサイルによる攻撃
3 着上陸侵攻
4 航空攻撃
5 武力攻撃やテロの手段として、化学剤、生物剤、核物質がそれぞれ用いられた場合
とあらゆる非常事態を想定し、説明しているのですが、実際の対処法としては…。
武力攻撃やテロなどが迫ったり、発生した地域には、原則として市町村が消防防災無線のサイレンを使用して、警報を発令することとしています。
さらに、テレビ、ラジオなどの放送や消防の広報車両等で、警報の内容を伝えるとしています。
うーん、非常事態にそんなことが可能なのか???
そして、警報が発令された場合に、直ちにとってほしい行動として、
?屋内にいる場合は、
・ドアや窓を全部閉める。
・ガス、水道、換気扇を止める。
・ドア、壁、窓ガラスから離れて座る。
?屋外にいる場合は、
・近くの堅牢な建物や地下街などの屋内に避難する。
・車を運転している場合は、できる限り道路外の場所に車を止める。やむを得ず道路に置いて避難するときは、道路の左側橋に沿って、キーを付けたまま駐車する等、緊急通行車両の通行の妨害とならないようにする。
としています。
そのあとは、ひたすら情報収集に努めるのだそうです。
うーん。
その後、さまざまな攻撃のパターンに合わせた対処法が続きますが、たとえば、核物質による攻撃の場合、
・閃光や火球が発生した場合には、失明する恐れがあるので見ないでください。
とありますが、どうやって、突然あがる閃光や火球をみないようにできるのでしょう。
・とっさに遮蔽物の陰に身を隠しましょう。
といわれても、広島や長崎のあの原爆投下後の状況を考えると、果たして遮蔽物の陰に身を隠す時間があるのか不安です。
一読して、本当に自分で自分の身を守ることが出来るのか、小さいお子さんやお年寄りを抱えた人が、家族の身を守ることができるのか、自信がもてません。
多分、税金を投入して、その筋の専門家が知識と知恵を絞ってまとめたものなのでしょうが、こんなもんで大丈夫?
子どもたちが小さかったとき読んだ、「風が吹くとき」という絵本を思い出しました。
いざという事態に備えて、核シェルターが必要だとでもいうのでしょうか。
私には、こんな事態が起きないよう、どういう方向で外交努力をしたらよいのか、そちらに英知をしぼる方が、よほど確実な「国民保護」になるように思えてならないのですが…。
運動会のさわやかな感動
(9月17日)
ちょっと日射しは強かったけれど、絶好の運動会日和の今日、春日部市内のほとんどの小学校で運動会が。
市議は手分けをして、誰も出席しない学校がないようにします。
というわけで、前半は、我が子の母校である備後小学校に。後半は地元の武里西小学校に行きました。
夏休みが終わって2週間、残暑の厳しい日も続き、この時期の運動会はかなり大変だと思いますが、子どもたちはそんなことをみじんも感じさせず、元気いっぱい、かけっこしたりダンスしたり…。
このままスクスク育ってほしいと願いながらの参観でした。
6年間の活動を振り返りつつ、資料整理
(9月15日)
10月1日に合併すると、議員は51人(実際は、市長選に出馬する3人が失職して48人)になります。そのため、議員控え室が手狭になり、書類のキャビネットが置けなくります。
というわけで、12日の最終日、議会終了後にみんなで、書類の大整理。必要なものはすべて自宅に持ち帰り…。
その書類を収めるために、自宅の書類を収納している書棚の大整理。
6年間に集めた資料の山を、片っ端から目を通しつつ…、あ、こんなことも調べた、こんな問題も活発に情報交換したんだ、と一々思い出しながら、今度必要になったら、インターネットで探そうと、思い切って資料を資源ゴミに。ひたすらホチキスを外してまとめる作業を続けております。
片付けるというのは捨てることなんですね。この内容が全部、頭の中に入っていたら、問題はないのだけれどと思いつつ、トホホ!
それにしても、制度の改正だけで、「介護保険」、「支援費」、「年金」、「医療保険」、そして「自治法改正」、「地方財政改革」…。この6年間にとてもとても大きなうねりが起こったのが分かります。
どれもこれも、引き金になったのは、財政の悪化ですが、真の地方分権、地域自治のために、まだまだ頑張らねば。
と思っていると、宮代町長選挙に出馬する予定の加納さんから、町長選挙用のリーフレットと出発式の案内が。
1市3町の合併を住民投票で拒否して以来の、宮代町の右往左往は、実は住民が右往左往したのではなく、どこからか突き上げられた現町長をはじめとする執行部と、議会の一部(半数に迫る勢いではありますが)の議員が浮き足立ったから起こったもの。
この混迷する時期だからこそ、宮代町の積み上げてきた、「住民参加」と「身の丈に合った財政出動」をきっちり充実させていけば、宮代はきっと、東部地域でトップクラスのよい町づくりを維持していけると思ってます。
来週から早速、出来る限り応援に駆けつけるつもりです。
ここのところ、私の応援している人たちは軒並み当選しているのに気をよくして!
雷雨の中だったからこそ募った平和への思い
(9月11日)
大場地区体育祭を午前中で失礼し、明治公園へ。
9・11事件から4年目の今日、自衛隊のイラクからの撤退を求め、「BE IN+Peace Parade」が行われています。
会場内は、様々な団体のブースのテント等がいっぱいに繰り広げられ、さながらお祭りのようなにぎわいを見せています。
春日部の「ぴーす うぉーく」の旗を持って、先に来ているはずの仲間を探しながら、メインステージから送られるメッセージに耳を傾けていたそのとき、正に「一天にわかにかき曇り」激しい雷雨が予告なしに。
念のため持参していた傘を広げても、容赦なくたたきつける雨の前ではいかにも非力、大きな木の下で雨宿りしている人たちの輪の中に入れてもらうと、稲光と雷鳴…。
高いビルに囲まれているこの公園なら、木の下でも大丈夫だろうと思いながらも、いつ雷が落ちるか不安のまま過ごしました。
ふと、私たちは、雷から身を守るすべもあるけれど、イラクの子どもたちや市民は、常にいつ我が身に爆弾が降り注ぐか分からない危機感の中で、この4年を過ごしているのだと思いました。
岩波ホールで上映中の「亀も空を飛ぶ」のバフマン・ゴバティ監督が、「イラクの子どもたちは大人だ。生まれたときから耳にするのは爆音だったり、戦争の話だったり。子ども時代をなくしたように、突然大人になってしまう」と語っています。
常に死と隣り合わせで、未来に希望を持てないで育つ、イラクの多くの子どもたちの状況に、みんなで思いをはせませんか。
仲間と巡り会い、青年館で雨宿りしているうちに雨足が弱くなり、全身ぬれねずみの人はフリマでTシャツを調達して着替え、パレード出発。と思ったら再び激しい雨。
その雨足に負けず、「平和のための投票を!」と呼びかけて、千人を超す人たちと、1時間半のパレードを続けました。
9月24日は、アメリカ発、世界同時行動日になります。同じ思いの方、是非一緒に、パレードしましょう。
〈激しい雨足に打たれながらのぱれーど。私の薄いグレーのズボンが、水を吸って黒に見えます〉
平和・安心、はどうやってつくっていくのか
(9月4日)
朝から、党首討論をやっているチャンネルを回しながら、各党の政策を聞いていました。
相変わらず、郵政民営化したら、財政改革が進み、社会保障の財源も確保できる」と主張する与党。
でも、郵政公社になった郵便局職員の給料は、郵便事業で賄っているはず。与党の言うように、固定資産税や法人税が課税でき、税収増になる、といっているけれど、それは利益が出たら、の話です。
330兆円を超すといわれる郵貯・簡保の金融資産、このうち、財政投融資に回った分のどのくらいが不良債権化しているのか、それはちっとも明らかになっていません。もし仮に、民営化した後この不良債権の処理につまづいて、破綻することになったら、庶民の虎の子の貯金はどうなるのでしょう。
そんなことを考えながら、29回目の「ぴーす うぉーく」へ。今回の総選挙は、これからの日本をどんな国にしたいのか、その国民の意思が問われる選挙。小泉政権に白紙委任状を渡していいのかどうか、「平和を守る」という観点からも、じっくり考えてほしい、という内容のアピールをし、小さいビラを手渡しました。
午後は、福祉法人「つぐみ共生会」の評議員会。やっぱり、障害をもっている人一人にいろんな制度が張り付いているばかりか、障害の種類や重さによって振り分けられている制度の不都合が壁になります。
そこをなんとか、自前のシステムで補って、きりひらいていくしかないのでしょうか。
たとえば、軽度の知的障害者に対しては、ほとんど制度の救いはありません。しかし現実的には、彼らが一般企業に就労し、自立していく道はほとんどありません。
そこを地域でどうやって支えていくのか…。手にあまることの大きさに、だれもが安心して暮らせる社会を構築していくために、社会保障を真剣に考える政権の誕生を、やはり願ってしまうのです。
法律や制度は、弱い立場の人を守るためにあるのですから。
世界一の大国で…、もろさを見せつけられた災害(9月3日)
アメリカのハリケーンによる被害は、日に日に深刻さを増しています。
我が家でも、二女の仲のよい友だちが、ジャズの勉強のためにニューオーリンズに渡っていることもあり、安否が確認できるまで気をもみました。滞在している家は流され、持ち物一切を失ったけれど、幸いなことにけがも無く無事だったとのことでほっとしました。
しかし、6日たった今になっても、亡くなった方の人数も、被害の全貌もつかめないばかりか、救助も遅々として進まず、時間との戦いが続いている様子です。
昨年のスマトラ沖地震の折の津波のときも、同様に悲痛な思いで報道を見守りましたが、世界一の大国であるアメリカで、というのは信じられない思いです。
報道によりますと、被害が大きかったのは、三分の二がアフリカ系住民、とされる、貧困層の多い地域であったことが、避難を遅らせた原因の一つ、とのこと。イラクで命を落としているアメリカ兵の多くが、マイノリティや貧困層であったということを想起させました。
強い、大きいということが、弱者の切り捨ての上に成り立つものなら、ごめんこうむりたいもの、との思いを抱きながら、九死に一生を得た人たちの救助が一刻も早く進むことを祈るばかりです。
2005年8月へ>>>議会&市政9月へ>>>母さんの視点過去ログへ>>>トップへ
|