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【2006年1月】

11日以降は、ブログをご覧ください。



20歳の誓いを聞いて考えたこと
(1月9日)

 本日は、春日部地域の成人式に出席しました。
 昨日とうって変わって、なかなか会場に入らず、友人同士が集まっておしゃべり。きっと、中学卒業以来、はじめて顔を合わせた人たちも、いっぱいいたのでしょうね。

 今年は、会場の大ホールの座席が、出身中学別に区分けされていました。
 式典の前には、「バック トゥー ザ 青春」と題した、中学校別に編集された思い出のスライドショーが上映されました。このころには会場内の座席は8分ほど埋まったのですが、なんといっても10校もあると、母校のときだけしか関心がないみたいで、終始ザワザワした雰囲気で式典に移りました。
 多分、庄和の新成人も、春日部の新成人も、そんなに変わらないのだと思います。
 しかし、庄和の方は、実行委員が3中学からそれぞれ4人ずつ選ばれて、顔見知りの間柄というのもあるのでしょう。顔の見えない関係になってしまうと、とたんに「よそごと」になってしまうのではないでしょうか。
 私語でうるさいホールに届けとばかり大声を上げての、式辞やお祝いのあいさつが延々と続きます。きっとむなしいいだろうな、と思っていたところ、小島市議会議長と清水県議会銀の二人とも、「少子化の今、若い世代には是非、たくさんお子さんを生んでほしい。国家のため、民族のため…」とつないだのにはびっくり。

 おいおい、若い世代が安心して子どもを産み、育てたいと思う社会をつくることが、我々の責任ではないの?
 と思いつつ、続いての新成人の「20歳の誓い」を聞いて驚きました。
 「日本では、今1年間に3万人、1日に880人もの人が自殺している。…僕たちは『ニート世代』と呼ばれているけれど、こうなったのはなぜなんだろう。『勝ち組』、『負け組』に分けられる競争社会に育った僕たち…」
 思わず、隣の席の議員仲間と「来賓の挨拶より、ずっと立派だね」とささやいてしまいました。しかも原稿なし!

 残念なことに、結びで「勝ち、負けではなく、自分らしく生きられる社会をつくろう」というニュアンスの呼びかけもしくは決意が語られるのかとの期待ははずれ、
「自分の手で、勝ち組になる」というものでした。
 聞きながら、確かに、これが20歳の感性なのだろうと納得。負け組とされてしまった人に思いを致すことができるようになるには、もっともっと、様々な体験を経なければならないのでしょう。

 閉式後、昨日に引き続き、「ぴーす うぉーく」のチラシを配布しました。
 やっぱり、昨日よりも受け取りが悪い! 一人が拒否すると、次々に拒否する…。一人の時と、集団の時では顔が違ってしまうのが、ちょっと気になります。
 気になるというと、やはり制服のようになってしまっている振り袖姿。中には、あとで卒業式に着られたり、もっとあとには色紋付きや付け下げに仕立て直せそうな振り袖もありましたが、色とりどりの華やかな振り袖に、申し合わせたように白いファーの襟巻き、茶髪を崩し加減のアップに結い上げて、髪飾りは造花。ゥ〜ん、日本文化の伝統に触れるよい機会というけれど、あまり美しいと思えないのはなぜでしょう。
 今は若いから仕方がないけれど、どうか、これから、本物の良さを吸収していってほしいと思った成人式でした。

昨年は式典後、改造車にのった若者の小競り合いがあったせいか、びっくりするほどたくさんのお巡りさんに警備された成人式は、無事、終了しました。

新成人の皆さん、これからよろしく
(1月8日)

 今日は、庄和地区の成人式に出席しました。
 庄和地域の新成人は439人とのことです。
 春日部地域の成人式と違って、出身中学別の懇親会があったり、記念撮影、アトラクション、スライドショー、お楽しみ抽選会など、もりだくさん。
 3つある中学校出身者それぞれ4人の計12人が実行委員となって、企画したとのことですが、時間になると整然とホールに入り、式典の間も、私語も無く、きちんと市長や来賓野挨拶を聞くなどの態度に感心しました。
 実行委員もそれぞれ出席者の顔見知り、という事情もあるのでしょうが、アットホームな雰囲気で式典は進行していきました。

 市長の挨拶も、従来の紋切り型ではなく、自分が20才の頃は、日本一の農業者になろうと、先人の門を叩いて実習に励んでいたなど、新成人に思いを伝える心のこもったものでした。

 終了後、20才になり、選挙権も行使できるようになった新成人の皆さんに、明日のピース ウォークで春日部地域の新成人の皆さんに手渡すつもりでつくったビラを渡しました。
 「是非一緒に、憲法の問題を考えてほしい」と言葉を添えながら…。

 ところで、議員は半分も出席していませんでした。この連休中は、挨拶回りのかきいれどきなのでしょうか。
 今年の4月半ばには、選挙があります。「しっかり挨拶回りをしなければ」と励ましの言葉をいただいているのですが…。
 年末年始は、家族のことで手一杯。目下12月議会の報告をまとめている最中で、気持ちは焦らないでもありません。
 ただ、議員になってから、一貫して、ふつうの市民ができる議員活動を、と思って来ました。議会開催日や公務の時以外は、家族に手が必要なときは、それを最優先させることも、当たり前の市民感覚を大切にする私のスタイルなのだと、自分では思っています。

大雪に見舞われている地方の方たちを思いつつ挨拶を交わす新年
(1月5日)

 今日は、新年の会派「フォーラム春日部」の顔合わせ。その後、役所の各部署への挨拶回り。
 どなたとも、「あけましておめでとう」の挨拶のあと、「いやあ、今年は寒いですね」という言葉が。そして、すぐに「でも大雪に見舞われている地方の方のことを思うと、このくらいの寒さは…」という言葉が続きます。
 50年ぶりとも、80年ぶりともいわれる今年の日本海側の豪雪は、実は温暖化で海面の温度が上昇しているところへ、強力な北極からの寒気団が訪れたことによる降雪とか。
 私たちが子どもの頃は、故郷の秋田では、一晩に1メートル近い積雪で、あらゆる交通機関がストップし、一階の屋根まですっぽり雪に覆われる、ということは覚悟の冬だったように思うのですが、その後年々、冬の積雪量が減り、さらに除雪の方法も進歩し、雪国でも備えが薄くなっていたのでしょうか。
 加えて、高齢化の進む地域の雪害…。
 
 以前、秋田市の高齢者福祉施設を視察した折り、一人暮らしのお年寄りや、お年寄りだけの世帯のために、冬場だけ入居できる、という対応をしていたことを思い出しました。
 家が雪で押しつぶされたケースでは、その家に住む1人暮らしのおばあさんが、梁がゆがむのをみて、身の危険を感じ、知り合いのお宅に何を逃れて助かった、とことです。
 
 アメリカのハリケーンの被害者のうち、多くの方が高齢者であったことを考えると、自然災害に対する、高齢者、障害者の安全確保も、地域の力で、普段から考えておかなければ、と思う新年の仕事始めです。

時間の偉大さについて考えた年の初め
(1月4日)

 世間的には、今日から仕事始め。
 しかし、子どもたちのそれぞれの都合で3が日に顔を揃えることのできなかったわが家では、パートナーの実家のある湯沢市に帰省中の長男を除いた三人の姉弟とその家族がやっと顔を揃えた昨夜に引き続き、今日は、97才の夫の父と昨年11月に生まれた義父の初めてのひ孫である、長女の娘が対面し、昼食を一緒にとるお正月の祝い。というわけで、個人的に今日まで正月ムードです。

 元旦、何にも見たいテレビ番組がない、とぼんやり観ていた、NHKアーカイブ、「表千家」の世界に、すっかり引き込まれていました。
 千利休の流れを脈々と受け継ぎ、伝え続けている「表千家」。茶室や庭、そして道具もお茶会のもてなしも、4百年変わらぬ姿を馬に伝えているすごさ。
 時間が瞬時に濃縮されていながら、4百年の歴史を瞬時に伝える文化の力といったものをしっかり感じさせる番組でした。

 お節料理一つとっても、黒豆をふっくら煮含めるためには、水に浸す作業から、弱火で柔らかく煮戻し、薄蜜で煮含めては火を止め、という作業を繰り返します。
 きんとんも、裏ごしこそ、今はミキサーやフードプロセッサーで代用できても、照りよく練り上げるのは、根気仕事です。
 そういった時間・手間の持つすごさを、日々忘れがちな今日、お正月という伝統を守ろうとすると、ふと気づかされる季節です。

 農家に嫁いだ長女は、ためらいもなく婚家で娘を出産し、お正月は夫の母親のお節作りを手伝い、3が日の客の応対を済ませて、里帰りしてきました。
 娘にそういう気にさせてくれる、婚家の両親おじいちゃんに感謝しつつ、今日は義父とひ孫、その間に横たわる97年間という時間のもつすごさを感じた1日でした。
 
 スロー・スモール・シンプルが、私の属している、「みどりのテーブル」というネットワークの合い言葉です。
 どうも経済効率一辺倒で流れてしまった社会のひずみがあちこちに現れていている感のある今、もう一度、環境と人間、人と人が共生して生きるためのキイワードとして、ゆっくり、身の丈に合わせて生きる、ということが挙げられそうな気がしています。

今年は、良い1年でありますように
(2006年1月1日)

 あけましておめでとうございます。
 あわただしい年末を何とか切り抜け、一夜あけると、新しい年がやってきました。
 今年こそ、悲しい出来事が起こりませんように、と祈りたくなる新年です。
 毎年、同じように、元旦は年賀状を書いて過ごします。
 jpgにすると、画像が劣化するのですが…。

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