レッテルを貼ることをやめてみませんか!
(2001.8.1)
6月議会の一般質問の原稿をつくっているとき、違和感がありました「障害者」ということばに対してです。
私はずいぶん長い間、「障害をもっている人たちと共に暮らす街づくり」の運動をしているグループの仲間にしてもらっています。最初の頃は、ひどく緊張感がありました。言葉の通じない人と、どうやってコミュニケーションをとったらいいのか……。何をしたら手助けになるのか……。
しかし、そんなことはすぐに解決しました。つきあっているうちに、私にとって、「障害者」という存在はなくなり、○○さん、という人がいて、その人の性格や個性の一つとして、たとえば耳が聞こえないとか、からだをほとんど動かすことができない、などの不自由さがあるだけだと思えるようになってきました。
だから介助にしても、障害者に対するよりよい介助などどこにもなく、その人にとって必要な介助はなにか、ということがあるだけだと知りました。
私たちは日頃から、何かを分けて考えるとき、特徴でくくったり、レッテルを貼ったりすることがよくあります。その最たるものが障害者であり、女性であり、子どもであり……。
そうしてくくられるとき、実は、一人の人間としての権利がおびやかされることが問題だと思うのです。
たとえば私の場合は、子どもたちが小さかったころ、「そんなかわいい子どもを預けてまで、よく働くわね」という言葉をかけられました。これがもし、私が男だったら、誰も何も言わないに決まっています。それと同じように、育児休業を男性もとれるようになってきている今日、育児休業をとっている男性に対して、奇異な目が向けられることがあるとも聞きます。
国会では憲法調査会が設置されて1年以上たち、憲法論議がさかんですが、私は現在の憲法の「基本的人権の尊重」が大好きです。人はどんな存在であっても自分らしく生きていく権利を有している、ということが、戦後たくさんの女性を勇気づけ、はばたかせてきました。
それは、女性だけでなく、それぞれが男、子ども、障害者、というレッテルから解放されて、一人ひとりが自分らしく生きられる社会をめざすためのうねりであったとも思います。
自分が自分らしく生きるためには、人の自分らしさを大切にしなければいけない、本当にこの原則が生きる社会になることが、真の共生社会であるならば、まず人にレッテルを貼ることをやめて、一人の人間と一人の人間として向きあってみませんか。
母さんの視点過去ログ
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