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虫愛(め)ずる姫君&ねこきちだった段ボール箱の箱入り娘

 小学校に入学するころ、市営の分譲住宅に転居。牛島という地名から分かる通り、のどかな田圃のど真ん中にこじんまりとできた「新町」という住宅地。

 厳格な祖母は、漫画禁止、買い食い禁止。従って紙芝居のお金がもらえず、ただ見は「はしたない」と怒られ‥‥。なにしろテレビも、「必要ありません」という祖母の一言で、東京オリンピックのときまで我が家にはありませんでした。まるで、段ボール箱入りの箱入り娘だった私は、その上、虚弱児、かつ鼻っ柱の強いわがまま娘だったので、本当に友だちのできない子でした。

 学校で強制的に肝油を飲まされたのと、昼休みに紫外線照射を受けさせられたのは、運動会の徒競走でいつもビリだったことと共に、嫌な思い出の一つです。

 小学校3年生の頃から、体を丈夫にするために、モダンバレーを習わされました。運動神経が鈍い割にはからだが柔らかかったので、踊ることが大好きに。ある事情でレッスンを辞めることがなければ、その後、ダンスの道まっしぐら、西野バレー団員だったかも知れません。


<バレリーナを夢見ていたころ。バレーの発表会で森の小人
を踊る。なぜか、赤いマジックで印をつけてしまった写真>


<おもちゃがわりにされている仔ネコたち>

 友だちの少なかった私の遊び相手は、昆虫やオタマジャクシなどの小動物とねこ。アゲハ蝶やモンシロ蝶などは、幼虫から育てたものです。今でも、アゲハが羽化する瞬間や、早朝、夜が白々と明ける頃セミが羽化する瞬間の、あの神秘的な光景は忘れられません。

 小学校5年のとき、音楽の先生にあこがれて、ピアノを習いたいと思いました。しかし、気移りが激しい私の性格をよく知っていた父は、自分が使っていた教則本「バイエル」(大正時代のものです!)を取り出し、小学校のピアノを借りて、一通り基本を教えた後、「この本を一冊やり終えたら、そのときに考えよう」と一言。もちろん、ピアノはおろか、オルガンさえ無かった我が家で、練習はもっぱら紙鍵盤と学校のオルガンでした。

 父のやり方はいつもこうでした。海で泳ぎを教えるときも、手を引いて私の背の立たないところまで連れていき、いきなり手を離すのです。もがいているうちに、いつの間にか浮いていて、泳げるようになった次第。スキーも、ゲレンデの無かった時代ですから、まず、スキー板で斜面に直角に雪を踏みしめて登らせ、簡易ゲレンデができると、転んだときの穴の埋め方と、立木にぶつかりそうになったときに回転してさける技を教えるだけ。あとは勝手に自分で練習しなさい、というわけです。

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