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念願の京都へ、しかし1年で東京へ

 せっかく国語の一級免許も取得したもものの、結局、教師になる気になれず、採用試験は受けないまま卒業。家を離れたい一心、なにより憧れの京都で暮らしたくて、家を出ました。それまで京都に行くたびに居候していた友がまだ歯科大生だったため、京都のはずれ、石清水八幡宮の麓の八幡町に二間のアパートを見つけてくれ、念願の京都生活を始めることができました。

 最初に就職したのはパッケージ関連の機械やラベル、テープ類を卸す商事会社でした。脱サラで会社を興した社長は、なかなか進取の気性に富んだ人で、女子社員も積極的に4年生大学出身者を採用していました。

 しかし、営業部員とは名ばかりで、仕事は営業マンの助手。半年経った頃、同期の女子社員が結束して社長に直談判。女子社員も営業に回ったり、営業会議に出席したりできる、という社内改革が認められました。しかし私はずっと営業の仕事をするつもりにはなれず、シナリオ学校に通い出していました。ちょうどそのころ、家庭教育雑誌「エミール」社が雑誌を創刊するための求人広告を出しており、応募。首尾よく(?)採用されて。憧れの出版社員になることができました。

 ところが、大阪が本社のはずなのに、編集は東京支社の仕事。雑誌は書店で売らず、年間予約購読を募る、というスタイルをとっていたため、私たち大阪本社の社員は、幼稚園や学校回りをして、年間購読を求めることが仕事になりました。電車を乗り継ぎ、足が棒のようにようにようになるまで歩き回る毎日。しかし、そのおかげで大阪市内だけでなく、京都市内、箕面、神戸、堺、生駒など、近郊の町々を歩く機会を得ました。


<なつかしの「エミール本社」(うしろに売れ残りの雑誌の山が)。大阪の北の新地のど真ん中にありましたが、社長が飲みに連れていってくれるのは、いつもミナミでした。その後、数奇な運命から、この本社ビルの持ち主の資産を受け継いだ社長は、十数年後、私が大阪に取材に行って訪ねた折、はじめて北の新地の小料理屋に案内してくれ、未払いの(?)給料の一部を渡してくれたのでした>

 こうして営業をしながら、少しずつ誌面をつくるデータ原稿を東京に送ったりしながら半年たったころ、突然社長に、「君はお姉さんが東京にいるのだから、東京に転勤してもいいだろう」と言われました。東京支社の人たちがほとんどが辞めてしまったから、というのがその理由でした。関西の生活には未練がありましたが、4年越しに、離れたりつきあったり、という腐れ縁の彼が横浜にいたこともあり、その3日後にはあわただしく東京へ。

 社長のことば通り、東京支社に残っていたのは編集長一人でした。しかも、みんなが辞めた理由というのが、給料が出っていなかったから、というもの。業績が悪いことは、営業で回っていたので薄々察していましたが、それほど、ひどかったとは‥‥。何しろ、上京してすぐに命じられた仕事が、印刷を頼んでいた大日本印刷に手形をジャンプしてくれるように、頼みに行くことでした。

 手形をジャンプしてもらったら、もう印刷は頼めません。新しい印刷所が決まるまで、いつ出せるとも分からない雑誌の編集をしながら、暇な時は編集長がとってきてくれた内職仕事のようなアルバイト。姉のアパートを出て、四谷の一間を借りていたのですが、今思ってもよく暮らしていたものだと思います。

 会社を辞めた元の社員も、創刊から育てた「エミール」には愛着があるらしく、時間があると立ち寄ってくれました。今でも「エミール会」と称して、つきあいは続いています。もっともつきあいが深くなってしまったのが、現在の夫です。

 比較的小回りのきく印刷屋もみつかり、何号か出すことができました。このころの思い出の記事は、連合赤軍のメンバーだった兄弟のお父さんのインタビューです。お父さんが教師をされていたこともあり、自分の大学時代の運動と重ね合わせながら、どうして自分と同じ世代の、まじめな若者たちが、こんな方向に行ってしまったのか、考えさせられる記事でした。

 初めての有名人インタビューは、亡くなられた映画評論家、淀川長治さん。こちらが一言、「数ある名画の中で、愛というものをもっとも深く表現している場面は?」と聞いただけで、何の資料をみることもなく1時間、次々に映画の中の愛の名場面を、あの独特の語り口で再現してくれたものです。「写真の写りのいいのがあったら、送って」と頼まれたので、お送りしたところ、お人柄そのままの字でお礼の葉書をいただきました。

 その後も、いろんな有名人の方にインタビューする機会がありましたが、敬服できる方ほど偉ぶらず、気持ちのよい出会いとなる、というのが実感です。

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