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政治参加のきっかけになった沖縄問題

 少しづつ春日部市に根を張りながら、私は一貫して、「世の中がおかしいと思っても、自分たちがまっとうに暮らすことで、世の中の流れは変わるはず」と信じていました。政治を変えたいと思ったら、選挙のときに納得のいく政党や候補者を選べばよいとも。

 1996年秋、衆議院の選挙がありました。その直後の臨時国会だったと思います。沖縄の米軍に軍用地を貸している地主さんたちが、「もう自分たちの土地は軍用地として使ってほしくない」と声をあげていました。それに対抗するために「特別措置法」をつくって、地主が反対しても軍用地として使えるようにしよう、という国会の動きがあり、ニュースをみていた時のことです。いわゆる反戦地主といわれた知花昌一さんが、傍聴席から反対の意を唱えたとたん、衛視に体を拘束されて、強引に連れ去られる姿がテレビ画面にうつりました。知花さんは、二女が修学旅行で沖縄を訪れた際、ガマの案内をして、沖縄戦について語ってくれた人です。自分の土地が、多くの民族紛争に介入して、罪もない民間人や子どもを殺傷するために使われたくない、という知花さんの思いを、力づくで制するのが今の政治だとしたら、日本はとんでもない方向に行くのではないか、と背筋が寒くなる思いがしました。

 ちょうどそのときの総選挙で、仕事の上で関わりがあった保坂展人さんが、社民党から立候補し、当選していました。保坂さんを通して、社民党と一緒に市民の声を政治に生かそう、という趣旨で作られた「市民の絆」を知り、関わることにしました。

 姑の介護も5年以上を経て、夫の姉がひきとって、姉の家の近くの特別養護老人ホームに移った直後のことでした。子どもたちも、末っ子の二男が小学校6年で、手がかからなくなってきた時期でした。

 「市民の絆」から、辻元清美さん、中川とも子さんなど、魅力的な女性議員と知り合うこともできました。女性が政治参加することで政治の流れを変えよう、としている、社民党の女性市民局が開いた「女性と政治スクール」のお手伝いもしました。それでも、私は応援団、という意識に変わりはなかったのですが‥‥。


<福島瑞穂さんや、女性と政治スクールの仲間と>

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