【6月】
30日 「協同労働の協同組合」法制化を求める市民集会
どういう働き方をするか、これは長い間のテーマです。私自身は4人の子どもを夫と力を合わせて育てる(そのために稼ぐ)ことに必死で、ゆとりがなかったのですが、介助・介護システムや協同購入など、市場経済の論理にのりにくい働き方をしながら、生活できるシステムがほしい、そう思ってきました。全国ですでにそれを実践している人たちが会したこの集会、600人ほどの参加者があったでしょうか。
基調講演をしてくださった金子勝先生が、珍しく声高に「日本経済全体がガン細胞にむしばまれている今、私たちの手で地域経済をまわしていく覚悟がなければ本当の危機がやってくる」と言われたのが印象的でした。そのためには「生きる価値を大事にして働き続けることで、地域経済を元気にできる」と主張されました。
また法制化に努力している国会議員の一人として、私の大好きな阿部知子さんが小児科医としての立場から、「高度成長からバブル期、働き蜂のお父さん、その影で母子カプセル化した家庭で育った子どもたちが今、さまざまな犯罪をおかすようになるなどの門題を引き起こしている。働くことの意味と価値をここで考えなければならない時代」と話されました。
20日 議会(各常任委員会報告、質議、討論、採決)
19日 介護保険サポーターズクラブ東部連絡会、吉川市の介護相談員派遣制度について
話して下さったのは、吉川市の「生き生き推進課」の係長さんと、実際に相談員をされているお二人。印象に残ったのは、なぜ相談員に介護保険サポーターを起用したのか、という理由。①せっかく県がかなりのお金をかけて養成したサポーターに働いてもらわないのはもったいない、②相談する人と同じ目線で相談をうけられるように、あえてボランティアさんにお願いしたかった、③行政の福祉サービスは平等が原則、ボランティアさんに委託する事業にすることによって、必要とする人が受ける、小回りのきくサービスを提供できる、この3つ。これって、サポータークラブが誕生したときから、私が市に要求してきたこととぴったり一致する点なのに! 春日部市のッ介護保険課長さんも同席していたので、今後が楽しみです。
18日 議会(一般質問)
中川朗議員が、大場地区に建設される予定の「精神障害者のデイケア施設」に関する質問を。質議・答弁は、近々議事録で公開の予定です。
17日 糸賀さん告別式/CILわらじ総会
16日 糸賀美賀子さんお通夜

<誰かを見送るということは、カラー写真が突然、モノクロの写真に変わるということなのか……。わら細工事務局長の糸賀美賀子さんが、突然、亡くなられた。わら細工総会で議長を勤めた私は、事務局長の糸賀さんを追求するような形になってしまったが……。福祉基礎構造改革を目前に、わら細工はどこへ行こうとするのか、糸賀さんはそのことについて話すとき、常に思いつめていたような表情になっていた。私は総会の場の皆の発言を聞きながら、今がそのことについて、事務局や運営委員だけでなく、会員すべてが考えるいいチャンス、と思ったのだが……。わら細工の行方を見届けることができなかった糸賀さんのためにも、みんなで一緒に方向性を探っていきたい。合掌>
14日 議会(一般質問)
12日 議会(一般質問)
毎回「今度こそはしっかり突っ込もう」と思うのですが、真正面からの答弁が」かえってこないとそれをただすことに精一杯になってしまって、なかなかうまくいきません。ついに市長に、「首長が変わらなくても、市政を変えることができる、という意気込みの感じられる答弁を期待します」と言ってしまいました。エールを送ったつもりなのに、みんなは挑戦状を突き付けたと……。私のキャラクターのせい?
それにしても、国会のように一問一答式になってくれないかな!
11日 議会(一般質問)
山崎進議員の「武里地区の廃校になる学校の跡地利用について」の質問で、市長公室長が「一部売却を視野に入れて検討」と答弁。
9日 越谷市民塾主催「参議院選挙予定候補者公開討論会」
5人の候補者が集まったこの討論会。こうして一堂に会してみると、一方的な演説よりも候補者の質(?)が分かって面白いものです。質議応答となると、予定しなかった質問が出て、そこでどう答えるか、瞬時にその候補者の考えの深さが試されることがはっきりしました。春日部でも実現したいものですが……。
7日 各常任委員会
生活保護の扶助費の基準となる生計調査、従来東京都内だけの調査だったのが、今年は全国的に行われ、春日部市も対象に。調査の結果、生計費がダウンしていると、扶助費も下げられることになります。そこで、「調査した時点と、支給される時点で1年間のタイムラグがあり、支給額が下がったのちに物価が上昇した場合、原則的に貯えのできない生保所帯が困ることにならないか」と質議。「電化製品などの買い替えていどの貯えは認められている」との答弁。生活保護については、国の事業ではありますが、実際の運用については、市町村で温度差があるのが現実。ケースバイケースで相談にのっている、という市の答弁を、しっかり見守ります。
6日 本会議(質議)
4日 本会議(議案上程説明など)
土日をはさんで幕を開けてみると、なんと、彩政会から分かれて「新政会」という会派をつくったはずの5人のうち、3人が彩政会に戻り、事態はまたまた混乱の様相を呈してきました。なんと開会冒頭から、新議長に対する不信任案が提出されました。いわく「混乱を拾集せず、円滑な議会運営の妨げとなった」というのがその理由。絶句! 混乱を起こしたのは、一体、誰だったんでしょう! もちろん14対15で否決。
その後、本来なら辞職願いを出すはずの副議長が、このままでは彩政会が副議長も失う、との思惑で辞職願いを提出せず、彩政会は、自ら慣例を破る形となりました。
この日から、私の使っている控え室の応接セットが廊下に運び出され、衝立てで仕切った半分のスペースに「新政会」が引っこし。
議論になったのは、八丁目の地権者から出された「土地利用の制限を解いて、開発を許可するよう求める請願」です。この土地は、農振地域で、開発の制限があるのですが、農業を続ける見通しが立たないため大型商業施設の開発許可を求める、というもの。請願を採択しても、もともと市の河で許可できる問題でもなく、また、都市計画マスタープランは、地区の人たちと話し合いを重ねて作成したものだけに、簡単に商業地への転用、というわけにもいかない、という様々な問題を含んでいます。このような問題は、継続審議にすべし、と思って反対したのですが、ふたをあけてみると、共産党が退場し、彩政会が賛成して、14対10で採択されました。
予定の議案の討論、採決終了後、副議長から辞職願いが出されました。14対10で、彩政会の副議長選出、と読んだのでしょう。しかし、今回は共産党が同意して、「春日部21」の山崎進議員が16対14で選出されました。
この議長選・副議長選をきっかけにして、議論しあえる議会になるといい、と期待しています。
29日 土地開発公社評議員会/学校建設公社評議員会
バブルの頃、高い土地を買ったのにもかかわらず、その後の財政状況から市が土地を買い戻せない、有効活用できない状態にある、いわゆる「塩漬土地」を抱えている土地開発公社の評議員会。今度「経営健全化団体」に指定され、土地を買い戻す際の地方債の起債要件が緩和されたり、特別交付税措置がとられたりすることになったのですが、となると、市の債務保証は減っても、市債が増えることになるのでは? 詳細は、調べて報告します。
しばらく学校建設事業がなかったため、休眠状態だった学校建設公社は、仮称「武里第2小学校」建設に公社を利用するため、平成15年まで事業を持続したのち解散します。市長から凍結されていた、評議員である我々市議に対する報酬(月額5千円)を払う条例改正案が提出されましたが、共産党から不要では、との意見が出され、全会一致で賛成した結果、議案取り下げ、報酬は不要ということになりました。
議会だより編集委員会
傍聴した方から寄せられたアンケートのうち掲載分を選ぶのですが、毎回「隣の席と話したり」「笑ったり」「居眠りしている議員がいる」など不謹慎、という指摘があり、小さくなります。もちろん、議会中は真剣に議論すべきなのは承知の上で、あえて言わせてもらうなら、同僚議員と確認しあいたいこともありますし、あまりにバカバカしいときには笑いたくもなります。居眠りについては、私が眠くなるのは、他の議員が前にしている、同じ質問をくり返したり、質問ではなく自分の考えを延々と展開したり、あるいは答弁で全く内容のない答弁をダラダラ続けられたりしたときです。厳粛でなくても、活発な議論のできる議会でありたいものです。
23日 かすかべの川クリーン会、川清掃
3日 NPOらるご総会、記念講演会(埼玉大学教授、茨木俊夫さん「こどもが育つということ」)
「子どもが育つということは、いろいろな関門を通りながら、自分はかけがえのない存在であり、また他人もかけがえのない存在なのだということを試行錯誤しながら認識していくこと」という趣旨のお話に納得。その中で、行ったりきたり、悩んだり立ち止まったり、つまずいたり……。親はそれを見守るもっとも身近な他者であること、そして、今のように子育てが母親だけに押し付けられた時代は、かつてなかったことなど、とても示唆に富んだお話でした。
1日 6月議会初日
いきなり、議長選挙でもめました。今まで、最大会派(16人)をである彩政会が、1年交代で議長、副議長を選び、共産党(4人)と私が反対(私は白票)して、すんなり決まる、というのが慣例になっていました。
しかし、最初から過半数をもっている彩政会の意向でなんでも決まってしまう議会運営は問題、という動きが生まれました。彩政会から5人の離反者が出て、議長選は12票対14票で彩政会の阿部議員が破れ、山口保議員が選出されました。
その後大もめにもめ、何度も各派代表者会議が開かれたようですが、私はかやの外。結局、初日の日程は全部翌議会開催日に持ち越され、延会となりいました。
ところで、今まで私の控え室は、無所属同士ということで、新井省吾議員と一緒だったのですが、「いくらなんでも、辞職勧告を突き付けた張本人と突き付けられた方が一緒では、まずいだろう」という計らいで、隣の理事控え室に移ることになりました。この日だけは、応接セットが残ったままの、広い(それまでの控え室に比べると)部屋を衝立てで仕切ったスペースで、一人でのんびりと、外のもめごとをよそに、議案調査にはげみました。
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