【7月】
29日 越ヶ谷高校野球部OB親の会
夏の甲子園予選のときの3年生はたしか16人だったはず。それが下級生のお母さん4人を含めて14人も出席。高校に入ってから野球をはじめた長男が、最後まで部活を続け、最後の予選でベンチ入りも果たせなかったのにもかかわらず、悔いのない高校生活を送れたのは、本当に仲のよかった仲間と、支えたくれた親御さんたちのお陰だったと、10年たった今も感謝です。
新坂幸子さんを偲ぶ会
新坂家の「つぐみ部屋」、そこから、故新坂光子さん、幸子さん姉妹を外に連れ出すことから、「わらじの会」の共に生きる街づくりははじまりました。
そして光子さん、幸子さん姉妹が分家の形で建ててもらった「オエヴィス」が生活ホームになり、二人の24時間体制の介助を整えるところから「介助システム・わら細工」ができました。
幸子さんが亡くなって1年、形見分けの一品は、幸子さんのおばあさんが一針一針ぬった、なつかしい腹巻きをもらいました。
光子さん、幸子さんのいなくなった「オエヴィス」はなんだかここのところ遠く感じられます。共に暮らす場だった「オエヴィス」が、単なる施設としての生活ホームにならないようにするのが、残された私たちの課題だということを忘れないために。
28日 春日部☆市民の風「春日部児童育成計画を考える・パート2」

児童福祉課の三木課長にきていただいて、「かすかべっ子 生き生きプラン」(児童育成計画・エンゼルプラン)の具体的な内容について説明していただきました。そのあと、質問、意見交換を。たとえば広報の体制では「情報誌を作りたい」という課長の説明に、「立派な情報誌より、HPなどを利用して新しい情報、きめ細かい情報の提供を」「広報かすかべで知らせましたではなく、もっと人目につきやすい知らせ方を」などの具体的な要望が出てきました。最後は「なぜ、こんな簡単なことがすぐにできないの!」と驚きの声が集中。はからずも、役所の 考え、仕組みと、市民の思いのずれを強く感じた一コマでした。それにしても、こういう機会をたくさんもつことが大事なのでは、と思います。
27日 村上かよ子さん選挙運動応援
村上さんの運動スタイルは、シルバーカーに拡声器をつけて、ひたすら歩いて街の角々で、広場で辻説法がメイン。昨日、今日は涼しくなったけれど、選挙戦序盤は、40度近い猛暑。かなり疲労の色が目立つ村上さんに変わって、無所属ネットの仲間や地元の応援団がマイクを握る回数が増えてきました。政党や組織に属さない候補者の選挙は、むずかしさがある代わりに、楽しくしようと思えばいくらでも楽しく元気にできる良さもあると実感。
26日 村上かよ子さん選挙運動応援
NPOインターシップフォーラム(講師、納税者NPO,WHY NOT代表・村尾信尚さん)
財務省のお役人でありながら、納税者NPOを立ち上げた村尾さんは、三重県の北川知事誕生直後に、三重県の総務部長に出向したことが、大きな転機となったそうです。首長候補に、住民が選挙公約を丸ごとつくって突きつけ、それを認めるかどうかで判断しようというこの運動、なかなか興味深いものですが、これからの行政に必要なのは、徹底した情報公開と、説明責任というスタンスに、頼もしさを感じました。財務省は変わる! と断言されたことも。
25日 家族にメダカ加わる

友人が田んぼでメダカを発見。田んぼの水がなくなるとメダカ危うしと救出作戦を。あちこちに里子に出されたそのメダカが我が家にやってきました。
くう(五差路で拾われた雑種犬、ひどく気弱な長男坊)、ネル(平方で拾われた三毛猫、しっかりもので来客に気を使う長女)、ノルダ(韓国語で遊ぶの意・上尾で拾われた黒猫。神経質だけれど狩りの上手な次女)、ラーン(和名・学、友人宅のベランダで野良猫に生み捨てられ、チワワ母さんに育てられたため、自分は犬だと思っている節のある、見た目シャム、しかし純粋雑種の次男坊)の4匹の扶養家族に、メダカが加わりました。一体誰が世話を?
メダカ自体は手がかからないけれど、ホテイアオイは面倒と聞きました。確かに、もう弱ってきています。どなたか、ホテイアオイの上手な管理法を教えてください。
24日 議会報告「風のたより」印刷
今回は通所施設「べしみ」の印刷機をお借りしての印刷。昨日、どうしても2−6ページの黒ベタがドラムにくっついて印刷不能に。午後、新しい印刷機のデモンストレーションがある、と聞いていたので、事務長のH名さんに「デモで試しに刷ってもらえるとうれしいな」と版下と用紙を置いて帰ったのですが……。さすが! きっちりと刷り上がっており、感謝、感謝。
折り機を使っていたところ、通所生のI上君が「まったく、見ていられないよ!」と手伝ってくれました。その手早いこと。「こういう事態には慣れてるからさ」とのこと。終わったので「今日パンつくりは?」(この日はパン焼きの作業の日)と聞いたところ、「づらかろうと思ってたのに、あんまりトロいんで、見ちゃいられなくてね」と言い残し、ディバッグをかついで風のように消えていきました。
印刷主任のO野さんが姿を現し(昨日はいなかったので)、印刷がずれているとご機嫌斜めでした。すみません。できの悪い弟子で。
23日 議会報告「風のたより」印刷
「いい男にだまされるな!」社民党アマゾネス国会タックル集会
土井党首をはじめ、辻元清美さん、福島瑞穂さん、プラス参院選候補の田嶋陽子さん、舟橋くに子さんが集合しての新宿西口集会。「女の人権が守られる社会になって、はじめて男の人権も守られる」、「女性の解放は、男性が男らしさという無理じいから解放されること」等々の主張は、とても説得力があり、暑い昼下がりにもかかわらず、たくさんの人が足を止めて聞き入っていました。
その後、新宿東口で、船橋さんの「東京勝手連」と合流しての集会に参加。若い人のヒップホップダンスあり、バンドの歌あり、船橋さんから若い人へのインタビューあり、これまた楽しい集会。「政治にはあまり関心がない」といいながらも、若い人のしっかりした発言に、希望がもてる思いでした。
22日 三郷市議候補村上かよ子さん出発式
市民派・無所属の村上さんの選挙は、ボランティア中心の運動になるとのことで、地方政治改革ネットの仲間も応援。
21日 職場参加を考える会運営委員会
20日 21世紀型教育を考えるシンポジウム「私を育てるもの--ちがいとの出会い
パネラーは、TBSニュース23のプロデューサーの斉藤道雄さんと、セルフラーニング研究所所長の平井雷太さんの二人。平井さんは、私が青少年の野外教育団体(財)育てる会にいたときの同僚で、山村留学を立ち上げるときに、二人で方針に反対して退職した間柄。その後も折りにふれ、一緒の活動をしていたのに、この日、初めて聞く話の連発。斉藤さんとの組み合わせが、平井さんの別の面を引き出してくれたのでしょうか。
斉藤さんは、北海道の精神障害者施設「べてるの家」や、聾唖の人たちのドキュメンタリーの取材を続けている方。「相手の視点にたったとき、世界がまったく変わって見える」という発見が、その後の取材活動の原点、というお話が、私のわらじの会との出会い、その後の生き方の変化と重なり合って、共感することの多いお話の連続でした。
19日 埼葛清掃組合議会
18日 議会だより編集委員会
15日 わらじの会虫干しバザー

連日の猛暑で、会場のせんげん台第4公園は、準備をはじめた早朝から熱風が。さすがにお客さんも少なく、私の担当する高級衣料コーナーの売り上げもさっぱり。メリノウール100%の新品紳士スーツ6,5000円が1,000円、など、目玉商品がてんこもりだったのですが……。もう一つの目的、献品していただいた衣類を虫干しして、秋の大バザーまで保管、は果たせましたが……。それにしても暑い1日。冷たい缶ジュースが30分もたたないうちに「おかんジュース」がなってしまうほどでした。
しかし、写真後方の木陰の売り場の人たちは、さほど暑くなく、さわやかなほどだったとのこと。木陰の威力を、さまざまと見せつけられた1日でもありました。来年は絶対に、100円均一コーナーにトラバーユするぞ!
14日 ピースサイクル参加

平和のメッセージを、全国から広島へ長崎へ、自転車でつないで届けよう、という催し物に、今年も参加。今年こそ、日頃鍛えた足腰で、東松山まで走ろう、と思っていたのですが、夏まつりなどあり、結局、岩槻まで。朝から
暑い1日。春日部市役所で春日部市への要請文を渡し、春日部市長のメッセージを預かって、日森衆議院議員、仲間5人で岩槻へ。
春日部夏まつり
12日 船橋くに子さん出発式・街宣

これが国会議員選挙の候補者の出発式! 船橋さんの自宅前、集まっているのはわずか10人ほど。船橋さんのたっての希望で、ぜひ出発の第一声は、ご近所のみなさんへのあいさつから、とのことで、このスタイルになったと聞きました ものものしさもない、長々とした挨拶もない、出発式。市町村議員の選挙とのちがいを感じさせるとすれば、辻元清美さんが船橋さんの隣に立っていることくらいでしょうか。
車で新八柱の駅に向かう前に、船橋さんがポツンと言いました。「きっと全国で、私たちの見えないところで、一人ひとりの人が動いてくれているのよね」 そういう選挙なのだと実感。
新八柱の駅前で、辻元さんが姿を見せると、あっという間に人だかりが。
「きのうのうちに、明日辻元さんがきます!」ってビラまきしたかったね」というと、松戸勝手連の人が,「そんな準備ができる選挙じゃないのよ」と言いました。
そうなんです。組織を動員するわけじゃない、周到な準備が整っているわけではない、一人一人の、船橋さんを国会に送りたい、国会で活躍してほしい、という思いが動かしている選挙戦。
いつも市議会選挙レベルはそれで当選できるけど、国会議員の選挙はそんなもんじゃない、といわれて悔しい思いをしてきたけれど、やってみようじゃないの。あと2週間余。精一杯。勝手連の一人一人が動くことで、百万票のバラの花を咲かせたい、という思いを強くした出発式でした。
11日 船橋くに子さんを囲む会

少人数でしたが、とてもなごやかな、楽しい会でした。船橋さんのお話にみんな大きくうなずいて……。くわしくは議事録・発言集「船橋くに子講演録」(2001年7月11日)を読んでください。
9日 パソコン・ビラ作り講習会(イラストレーターを使おう)
3日 参加する会、6月議会反省会
1日 わら細工臨時総会
前回、10時から午後4時までかけて審議したにも関わらず、承認が得られなかったのが2001年度の活動計画案でした。その議論を踏まえて、今回の議案には、これまでのわら細工の歴史と総括が盛り込まれ、それに沿って、さらに2003年度の福祉基礎構造改革に向けての取り組みの方向性も示され、若干修正動議的な意見がだされたものの、無事承認の運びとなりました。引き続き議長職を引き受けた私もホッとしました。
それにつけても、やはり行政には民間で積み上げてきたこの10年あまりの歴史をぜひ参考にしてほしい、という思いが強くなります。
大岩誓子さん、下総皖一童謡音楽賞受賞記念「七夕の宵コンサート」
大岩さんのお子さんとうちの子どもたちが保育所で一緒だったころは、大岩さんは幼稚園の先生をなさっていて、行事のときによく歌を歌ってくださったものです。その後、声楽家としての活動に絞った大岩さんが「子どものころから、シルクロードで<月の砂漠>を歌うのが夢でした。去年、それをやっと果たすことができました」とおっしゃっていました。夢を追い続け、実現するって素敵なことだと、越谷の能楽堂いっぱいの人たちと一緒の席で、実感した宵でした。
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